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ゴジラ老人シマクマ君の日々

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2023.10.31
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​​​夏目漱石「二百十日」(定本 漱石全集 第三巻)岩波書店​
​​​​​​​​​​​​​​ 二月に一度集まっている本好きの会の課題図書ということで、久しぶりに夏目漱石「二百十日」という作品を読みました。市民図書館で借りましたが、岩波書店「定本 漱石全集」第三巻に入っています。ああ、もちろん、文庫本にも入っていますよ。
 明治39年(1906年)10月中央公論という雑誌に発表された作品で、この全集では175ページから257ページですから、80ページくらいの量の中編小説です。
 ​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​漱石「吾輩は猫である」「ホトトギス」という雑誌に連載したのは明治38年から39年の夏ごろまでで、「坊っちゃん」を発表したのが39年の4月です。で、朝日新聞社に入社するのは明治40年​4月​で、最初の連載小説が「虞美人草」です。​​​​​​​​​
​​ まあ、せっかく久しぶりに読んだのだから、ついでに読書案内しようと漱石年譜とかを繰っていて、ちょっとおもしろいと思ったのは職業作家として書き始める直前に書かれた作品だということですね。
 で、もうひとつ面白いと思ったことがあるのですが、それは、まあ、この書き出しをお読みなってからということで、ちょっと読んでみてください。​​

 ぶらりと両手を垂(さ)げた儘、圭さんがどこからか帰って来る。
「何処へ行ったね」
「一寸、町を歩行いて来た」
「何か観るものがあるかい」
「寺が一軒あつた」
「夫から」
「銀杏の樹が一本、門前にあつた」
「夫から」
「銀杏の樹から本堂迄󠄀、一丁半許り、石が敷き詰めてあつた。非常に細長い寺だつた。」「這入つて見たかい」
「やめて来た」
「其外に何もないかね」
「別段何もないな。一体、寺と云ふものは大概の村にはあるね、君」
「さうさ、人間の死ぬ所には必ずある筈ぢやないか」
「成程さうだね」と圭さん、首を捻る。圭さんは時々妙な事に感心する。
(中略)

 かあんかあんと鉄を打つ音が静かな村へ響き渡る。癇ばしった上に何だか心細い。
「まだ馬の沓を打つている。何だか寒いね、君」と圭さんは白い浴衣の下で堅くなる。碌さんも同じく白地の単衣の襟をかき合わせて、だらしのない膝頭を行儀よく揃へる。やがて圭さんが云ふ。
「僕の小供の時住んでた町の真中に、一軒の豆腐屋があってね」
「豆腐屋があつて?」
「豆腐屋があつて、其豆腐屋の角から一丁計り爪先上がりに上がると寒磐寺と云ふ御寺があつてね」
「寒磐寺と云ふ御寺がある?」
「ある。今でもあるだらう。門前から見ると只大竹藪ばかり見えて、本堂も庫裏もない様だ。其御寺で毎朝四時頃になると、誰だか鉦を敲く」
「誰だか鉦を敲くつて、坊主が敲くんだらう」
「坊主だか何だか分からない。只竹の中でかんかんと幽かに敲くのさ。冬の朝なんぞ、霜が強く降つて、布団のなかで世の中の寒さを一二寸の厚さに遮ぎつて聞いてゐると、竹藪のなかから、かんかん響いてくる。誰が敲くのだか分からない。僕は寺の前を通る度に、長い石甃と、倒れかかった山門と、山門を埋め尽くす程な大竹藪を見るのだが、一度も山門のなかを覗いた事がない。只竹藪のなかで敲く鉦の音丈を聞いては、夜具の裏で海老のようになるのさ。」
「海老の様になる?」
「うん。海老の様になつて、口のうちで,かんかん、かんかんと云ふのさ」
「妙だね」
「すると、門前の豆腐屋が屹度起きて、雨戸を明ける。ぎっぎっと豆を臼で挽く音がする。さあさあと豆腐の水を易へる音がする。」
「君の家は全体どこにある訳だね」
「僕のうちは、つまり、そんな音が聞こえる所にあるのさ」
「だから、何処にある訳だね」
「すぐ傍差」
「豆腐屋の向か、隣かい」
「なに二階さ」「へえへえ。そいつは・・・・・」と碌さんは驚いた。

「僕は豆腐屋の子だよ」(P180)
​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​ いかがでしょう、ボクが面白がったことが何だったか気づかれたでしょうか。引用文は作品の冒頭175ページから、180ページの、一部省略しましたが、引き写しです。
 旧仮名遣いとか、漢字の使い方にも、一応、気を遣って写しました。
 で、写しながら、笑ってしまいました。みんな会話文なのです。実は、この小説は、もちろん場面や、時間登場人物は入れ替わりますが、最後の最後まで、主役この二人で、二人の会話文なのです。なんで、笑ったのかというと、明治の文学と考えたときに、最初に頭に浮かぶのは「言文一致」なのですね。だから、
​​漱石の言文一致はどうなっているのか?​​
 という興味が、まあ、久しぶりに初期の作品を読むということもあって、浮かんでいたわけですが、この小説は、ご覧の様に、ほぼ、99%、会話文なのです。ですから、まあ、言文一致がどうのという興味は空振りですね。というのは、言文一致の要諦は「地の文」、あるいは、「客観描写」の文の口語化なわけですからね。
 まあ、言文一致については、二葉亭浮雲を書き、山田美妙「です・ます」で苦労したのは明治20年代から30年代に終わって、この作品の時代には、もう、言文一致は完成していたんじゃないか、
​​言文一致って、漱石とか関係あるの?​​
 とお考えの方もあるでしょうが、明治といえば、もう一人の大物、森鴎外「言文一致」小説を初めて書いたのは、実は、明治40年なのですね。この年にスバルという雑誌に発表した「半日」という作品が、鴎外にとって初めての言文一致小説だったという事実もある訳で、明治39年漱石がどんな気分で書いていたのだろうという興味が、まったくの見当違いというわけではない気もします。​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​
 で、読み直しながら、ふと、思ったのですが、
​​この会話文、面白いと思いませんか?​​
 実は、この会話は九州の阿蘇山の山麓の村の田舎宿で、「圭さん」という豆腐屋のせがれと「碌さん」という、なんとなく学のありそうな青年が、村の鍛冶屋の馬の蹄鉄を打つ槌音を聞きながら、東京のお寺鉦の音を思い出して、どうでもいいような会話を延々と続けるのですが、その、二人の、だらけた部屋でのシーンが浮かんできませんかね。問題は、聞こえている音と、頭の中の音の重なり合いなのですが、ああ、それと、そこに重なっていく二人の声、それぞれの音が、その場のイメージを喚起していきませんかね?
 ボクは、それって、実は、近代を越えて、現代にも通じる小説そのものなんじゃないかって、まあ、そういうわけで、とりあえず読んでよかったという感想に落ち着いたわけでした(笑)。
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最終更新日  2023.10.31 01:09:08
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