1716107 ランダム
 ホーム | 日記 | プロフィール 【フォローする】 【ログイン】

ゴジラ老人シマクマ君の日々

ゴジラ老人シマクマ君の日々

【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! --/--
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

PR

プロフィール

シマクマ君

シマクマ君

カレンダー

バックナンバー

カテゴリ

カテゴリ未分類

(1)

読書案内「日本語・教育」

(21)

週刊マンガ便「コミック」

(84)

演劇「ナショナルシアターライブ」でお昼寝

(35)

徘徊日記「日帰りでお出かけ」

(62)

演劇「劇場」でお昼寝

(2)

映画「元町映画館」でお昼寝

(94)

映画「ちょっと遠くの映画館」でお昼寝

(26)

映画「シネリーブル神戸」でお昼寝

(90)

読書案内「映画館で出会った本」

(18)

読書案内「翻訳小説・詩・他」

(53)

読書案内「漱石・鴎外・露伴・龍之介・百閒・その他」

(23)

徘徊日記「垂水・舞子・明石」あたり

(53)

読書案内 「医者や科学者の仕事、まあ科学一般」

(27)

読書案内「現代の作家」

(100)

徘徊日記「お泊りでお出かけ」

(67)

徘徊日記「神戸・元町・三宮」あたり

(85)

読書案内「絵本・児童文学」=チビラ君たちへ

(48)

読書案内「社会・歴史・哲学・思想」

(77)

読書案内 「芸術:音楽・美術・写真・装幀 他」

(30)

読書案内「近・現代詩歌」

(54)

徘徊「港めぐり」

(4)

バカ猫 百態

(22)

読書案内「橋本治・加藤典洋・内田樹・高橋源一郎・他」

(18)

読書案内「水俣・沖縄・アフガニスタン 石牟礼道子・渡辺京二・中村哲 他」

(20)

読書案内「鶴見俊輔・黒川創・岡部伊都子・小田実 べ平連・思想の科学あたり」

(15)

映画「OSミント・ハーバーランド」でお昼寝

(2)

映画「こたつシネマ」でお昼寝

(13)

映画「パルシネマ」でお昼寝

(30)

読書案内「昭和の文学」

(25)

読書案内「BookCoverChallenge」2020・05

(16)

読書案内「くいしんぼう」

(9)

映画「Cinema Kobe」でお昼寝

(5)

週刊マンガ便「ちばてつや・ちばあきお」

(9)

週刊マンガ便「石塚真一・浦沢直樹・ハロルド作石」

(34)

週刊マンガ便「鈴ノ木ユウ・野田サトル」

(19)

ベランダだより

(151)

徘徊日記 団地界隈

(112)

徘徊日記 兵庫区・長田区あたり

(26)

徘徊日記 須磨区あたり

(30)

徘徊日記 西区・北区あたり

(10)

徘徊日記 灘区・東灘区あたり

(41)

徘徊日記 美術館・博物館・Etc

(5)

週刊マンガ便「吉田秋生・高野文子・やまだ紫」

(7)

徘徊日記 芦屋・西宮あたり

(11)

読書案内「大江健三郎・司修・井上ひさし・開高健 他」

(14)

読書案内「古井由吉・後藤明生・他 内向の世代あたり」

(3)

読書案内「谷川俊太郎・茨木のり子・大岡信 あたり」

(19)

読書案内「啄木・白秋・晶子 あたり」

(4)

読書案内「丸谷才一・和田誠・池澤夏樹」

(11)

読書案内「吉本隆明・鮎川信夫・黒田三郎・荒地あたり」

(13)

週刊マンガ便 「松本大洋」・「山川直人」

(13)

読書案内「リービ英雄・多和田葉子・カズオイシグロ」国境を越えて

(5)

読書案内「村上春樹・川上未映子」

(13)

映画 パレスチナ・中東の監督

(6)

読書案内「近代詩 賢治・中也・光太郎 あたり」

(7)

映画 韓国の監督

(25)

映画 香港・中国・台湾の監督

(37)

映画 アニメーション

(13)

映画 日本の監督 ア行・カ行・サ行 是枝・黒沢

(53)

映画 日本の監督 タ行・ナ行・ハ行 鄭

(26)

映画 日本の監督 マ行・ヤ行・ラ行・ワ行

(16)

映画 イギリス・アイルランド・アイスランドの監督

(41)

映画 イタリアの監督

(21)

映画 ドイツ・ポーランド他の監督

(24)

映画 ソビエト・ロシアの監督

(11)

映画 アメリカの監督

(99)

震災をめぐって 東北・神戸・原発

(3)

読書案内「旅行・冒険」

(4)

読書案内「本・読書・書評・図書館・古本屋」

(13)

映画 オーストラリア・ニュージーランドの監督

(5)

映画 フランスの監督

(49)

映画 スペイン・ポルトガルの監督

(10)

映画 カナダの監督

(5)

映画 グルジア(ジョージア)の監督

(15)

映画 ウクライナ・リトアニアの監督

(7)

映画 イスラエルの監督

(3)

映画 マケドニア、ボスニア・ヘルツェゴヴィナ、クロアチア、スロベニアの監督

(6)

映画 オランダ・デンマーク・ベルギーの監督

(10)

映画 フィンランド・スウェーデン・ノルウェイの監督

(6)

映画 トルコ・イラン・カザフスタンあたりの映画監督

(12)

映画 ギリシアの監督

(3)

映画 アルゼンチン・ブラジル・ペルー・チリの監督

(6)

映画 ハンガリー・ルーマニアの監督

(5)

映画 アフリカの監督

(3)

映画 スイス・オーストリアの監督

(3)

読書案内 戯曲 シナリオ 劇作家

(1)

読書案内 ジブリの本とマンガ

(5)

週刊マンガ便「小林まこと」

(9)

読書案内「野口武彦・前田愛・橋川文三・藤井貞和」

(2)

映画 インド・ネパール・ブータン・アフガニスタン・タイ・ベトナム あたりの監督

(5)

週刊マンガ便 キングダム 原泰久・佐藤信介

(17)

読書案内「川上弘美・小川洋子・佐伯一麦」

(9)

読書案内「立花隆・松岡正剛」

(5)

日記/記事の投稿

コメント新着

キーワードサーチ

▼キーワード検索

2024.01.25
XML
​黒井千次「群棲」(講談社・講談社文芸文庫)​
 2024年、お正月早々読み始めた小説集に唸っています。黒井千次「群棲」です。
​​​​​​​​ 1981年から​1984年​、文芸誌「群像」誌上に連載された短編連作集です。現在では講談社文芸文庫にはいっていますが、ボクは、元の単行本、1984年4月27日第1刷で読みました。何年か前に、元町の三香書店の店先に100円で置かれていた本です。​​​​​​​​
 庭と呼ぶより家屋と塀の間とでも言った方がふさわしいほどの奥行のない土地の真中にブロックを二つ置き、その上にコンクリートの板を渡しただけの低い棚に並べられた盆栽達が、時折自分をじっと監視しているように思われることがあった。定年を前にした尊彦が釧路の系列会社の役員になって移るとき、東京の家に残ると言い張り続ける静子に対して最後にいった言葉が盆栽のことであったからかもしれない。
 俺の盆栽を枯らさないでくれよ。
その一言で彼女は今の暮らしを手に入れた。そしてしばらく黙っていた後、この歳になってから独身生活をするとは思わなかったな、と夫はぽつんと呟いたのだった。(「水泥棒」P185 )
​ 唸ったというのは、こういう一節でした。「群棲」と題されて描かれている作品群の舞台は東京の近郊、最寄り駅からは歩いて帰ってこられる住宅地の一角の路地のなか、向かい合わせの四軒の住居です。時は1980年代の始めころですが、その四軒に住む家族のありさまが描かれています。​
​​​​ 上に引いたのは「水泥棒」という、定年間近の夫を単身で送り出し、東京で一人暮らす妻静子の生活のありさまを描いた作品の一節ですが、静子の内面がこんなふうに描かれています。​​​​
 子供もそれぞれ独立して出て行ったのだし、寝たきりの老人を抱えているわけでもない夫婦だけの家庭なのだから、どこから見ても静子は夫についていくのが自然だったろう。家は親会社が社宅に借りあげ、将来東京に戻る時にはいつでもあけるようにするとの話もついていた。にもかかわらず、彼女はどうしても夫と共に北海道に行く気になれなかった。
 引っ越しが面倒だとか、冬の寒さが身にこたえるといった気遅れがあるのは事実だったが、それが本当の理由ではないことを静子は知っていた。ひとつなにかを諦めれば、これまでと同じように口ではぶつぶつ言いながらも結局は尊彦について行ってしまいそうな自分をすぐそこに感じていた。だからこそ、彼女はそんな自分にこだわりたい気持ちが一層募るのだった。
 昔のことがひっかかっているのかい、と夫は気弱げに訊ねもした。
 そんなことなら今までの暮らしだって出来なかった筈でしょ、と彼女は夫の疑いを無造作に押し返した。自身にも気持ちの底はよくわからなかった。未亡人になった時の練習をしておくのもいいんじゃないかしら、とは口には出しかねた。今のうち少し不自由に馴れておけば私が死んだ後あまり苦労しないで暮らせるわよ、とだけ彼女は答えた。どちらの言い方が夫にとってより酷いものであるかを考えるゆとりはなかった。
 一度だけ我が儘を言わせて下さい。
言葉とともに突然涙が溢れ出た。なぜか自分が可哀そうでならなかった。可哀そうな自分を妻に持つ夫も気の毒だった。そして静子自身も予期しなかったその涙が、おそらくは尊彦から盆栽についての言葉を引き出したのだった。
 あんた達、枯れないでよ。私が困るんだから。(P186)
​​​​​​​​​​​​ 作品は、一人暮らしをしている静子の家の玄関先の水道が、誰かに使われていて、いつの間にか水が出しっぱなしになっているという​「事件」​をめぐって描かれているのですが、ボクが唸ったのは、1980年代50代の女性とその夫といえば、ちょうど、​1920年代から30年代に生まれた世代​なのですが、それは、まあ、ボクたちの親の世代でもあって、その世代の、その年頃の、だから、結婚生活を30年暮らした、そういう女性
​「なぜか自分が可哀そうでならなかった。」​​
​ と言わせているリアルとでもいうべきところでした。​​​​​​​​​​​
​​ まあ、今読むからそう感じるのかもしれませんが、1980年代の始め、すべてがご和算になる直前の、戦中から戦後という50年の時代を普通に生きてた親たちの世代の、社会に対する実感というか、崩壊に対する予感というか、まあ、何を考えて生きているのかというようなことについて、前を向くことに夢中で気づかなかった世代、まあ、小説のなかの「子供たち」が、いつの間にか、親たちのその年頃を越えて、フト、手に取って読み始めて
​「ああ、そうだったんだ!」​​
​ と、唸るという感じでしたね。​​
​​​ さて、今の、だから、崩壊感覚が空気のように広がっていると老人は実感する今の、この小説の現在から40年余り経った今の、二十代、三十代の方が,こういう作品をどう読まれるのか、ボクには、もう、見当もつきませんが、一度お試しになられてはいかがでしょうね(笑)。
 著者の黒井千次さん90歳をこえられて、「老いのゆくえ」(中公新書)とか、なんとか、老人生活を綴ったエ​​​ッセイでご健在のようです。ボクの場合は、そっちを読むのが本筋かもしれませんね(笑)。

目次(数字はページ)

オモチャの部屋 5   (1981年「群像」8月号)​
通行人 31     (1981年「群像」10月号)
道の向うの扉 53  (1982年「群像」2月号)
夜の客 75      (1982年「群像」6月号)
2階家の隣人 97  (1982年「群像」9月号)
窓の中 123    (1982年「群像」11月号)
買物する女達 151   (1983年「群像」3月号)
水泥棒 177      (1983年「群像」6月号)
手紙の来た家 201   (1983年「群像」8月号)
芝の庭 227      (1983年「群像」10月号)
壁下の夕暮れ 251   (1983年「群像」12月号)
訪問者 279      (1984年「群像」2月号)

​​​​​​​​​​​​​​​

PVアクセスランキング にほんブログ村


にほんブログ村 本ブログ おすすめ本へ


にほんブログ村 本ブログへ






ゴジラブログ - にほんブログ村​​

​​​​​​​​​​​​​
​​
​​




​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2024.01.25 01:08:16
コメント(0) | コメントを書く
[読書案内「古井由吉・後藤明生・他 内向の世代あたり」] カテゴリの最新記事



© Rakuten Group, Inc.
X