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カテゴリ:週刊マンガ便「コミック」
滝田ゆう「寺島町奇譚(全)」(ちくま文庫) 最近、久しぶりに永井荷風の「濹東綺譚」(新潮文庫)を読みました。長年続けてきた本読みの会の課題だったのですが、読みながら思い出したのがこのマンガです。
滝田ゆう「寺島町奇譚(全)」(ちくま文庫)です。 手元にあるのは1988年の新刊ですが、まあ、35年も前の本ですから、ご覧のように、しっかり、薄汚れています。 ご存知の方は、すぐにお分かりになると思うのですが、永井荷風が作品の舞台にして濹東と呼んでいるのが、いったい、東京のどのあたりで、どんな町だったのか、たとえばボクのように関西からほとんど出たことのない人間には皆目見当がつきません。 隅田川の川向うといわれても、もちろんわからないわけです。あの小説の中には、あたかも極私的東京案内であるかのごとく、詳しい地名が書き連ねられているわけで、繰り返しますが、知っている人には ありありとしたリアリティ を作り出しているに違いないにしても、少なくともボクのような読み手には面倒くさい細部でしかないわけです。 で、思い出したのが瀧田ゆうです。1990年に、58歳の若さで世を去った人です。永井荷風が濹東と呼んだこの地域の戦前の町名が「寺島町」らしいのですが、そこが滝田ゆうの故郷、生まれは違うようですが、育った場所だそうです。 作品名が「寺島町奇譚」とあるように、永井荷風が「濹東綺譚」と名付けて描いた世界を明らかになぞりながら、そのあたりをうろついていた、ひょっとしたら荷風かもしれない中年男の後ろ姿を、家業のお手伝いで庭先を掃きながら見ていた小学生キヨシの目から描いたマンガです。 キィ ドンの看板がありますが、キヨシくんの実家です。お父さんとお母さん、それからオバーっちゃんとお姉さん、ネコのタマと暮らしています。家業はごらんのとおりスタンドバーで、お姉さんは女給さん、お父さんは板前さんです。 住んでいる街はこんな感じです。荷風が通っていた、通称「玉ノ井」の街の風景です。二階が、女性たちの仕事場です。 「ぬけられます」 この看板が、この街のキーワードのようです。関西のボクでもその名は知っている戦前の有名な私娼の街です。 ふたつの作品を読み比べてみると、滝田ゆうはこの町で少年時代を過ごした人で、その、いわば思い出の視点から描かれています。永井の作品は、有名な「断腸亭日乗」(岩波文庫)にも、その玉ノ井通いを描いていますが、ここに通ってきたよそ者の視点で書かれていますが、このマンガと小説との違いは、もう一つあって、時間です。荷風が描いているのは1930年代の終わり、昭和10年代の始めですが、滝田のマンガは1944年あたりから始まり、1945年、日付も明らかで3月10日の数日後までです。 これが、640ページの分厚いマンガの最後のページです。 1945年3月10日、この街でなにがあったのか。そうです、キヨシの住んでいた街がすべて燃えて消えてしまう事件、後に東京大空襲と呼ばれることになる大惨事があった日です。 永井の小説に描かれた大人の世界も、ここまで、キヨシが暮らしてきた世界も、ともにすべて焼尽して消えてしまう、このマンガの結末は、まさに「奇譚」と呼ぶべき作品だとボクは思います。 それは、まっとうな振りで暮らしている人たちが避けて通りそうな下町の私娼窟に、素朴で素直な人間や人情の美しさがあることを綺譚と呼んで書きしるした荷風にも、さすがに、想像できなかったに違いありません。一人一人の普通の人が、普通である証しのように、家族や、友達や、隣のおじさんや、猫や犬と一緒に生きていた街が、一晩で、 街ごと消えてなくなってしまったんですよ。 これを 奇譚! と呼ばずして、どう呼べばいいのでしょうね。滝田ゆうの記憶の中に、きっと、死ぬまで存在しつづけた「寺島町」が「奇譚」として、読者の中に残っていくことを、柄にもなく祈りますね。私たちには忘れてはいけないことがあるのではないでしょうか。
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最終更新日
2024.04.26 23:46:31
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