|
カテゴリ:読書案内「近・現代詩歌」
永田和宏「あの胸が岬のように遠かった」(新潮社) 今日の「読書案内」は、後期高齢者になった元京大教授が著者ですが、
「いやー、そこまで書きますか!?」 と70歳を迎えることにビビっている、前期高齢者のシマクマ君がひっくり返りそうな率直さで、10年ほど前に亡くなった配偶者、河野裕子さんとの出会いから結婚までの思い出をつづっていらっしゃる「あの胸が岬のように遠かった」(新潮社)です。 ちなみに、著者の永田和宏さんは細胞生物学の学者で、歌人。配偶者だった河野裕子さん、息子さんの永田淳さん、お嬢さんの永田紅さんも、現代短歌に少し関心のある方ならご存知であろう歌人です。 市民図書館の新入荷の棚で見つけて、借りてきたのですが、読みながら繰り返しのけぞりました。 あけっぴろげ!とはこのことですね、文書に書かれている当事者が、すでにいらっしゃらないので、まあ、文句をつける人はいないのかもしれませんが、ボクが、もし、同居人との出会いを、こんなふうに赤裸々に描きこんで公開するというと、ボクの場合は、まだ、生きている当事者である同居人が許さないでしょうね。 たとえば、書名の「あの胸が岬のように遠かった」は、永田和宏自身の短歌の上の句で、全体では「あの胸が岬のように遠かった。畜生!いつまでもおれの少年」という短歌ですね。 あの胸が岬のように遠かった。畜生!いつまでもおれの少年 で、それに対応して乗せられているのが ブラウスの中まで明るき初夏の日にけぶれるごときわが乳房あり これは自伝なのか、回想なのか、はたまた、告白なのか、まあ、よくわかりませんが、新潮社のPR誌「波」に2020年1月号から2021年6月号まで連載されていた「あなたと出会って、それから…」というエッセイ(?)の単行本化されたもののようです。 上に、引用しながら「まあ、興味をお持ちになった方がお読みになればわかるだろう」と書きやめたのは、引用歌の前段として、河野裕子さんの死後らしいですが、永田和宏さんが発見されたらしい河野裕子さんの「日記」と、永田さん自身の「日記」の、その当時の記述が、そのまま転記されていて、小説とかであれば、まあ、のけぞったりしないのですが、 「えっ?あなたと、あなたの奥さんの実話?」 というわけですからね。短歌どころではない内容で、やっぱり、のけぞりましたね(笑)。そのまんま書き残していること自体が「若気の至り」とでもいうほかない、若き日の経験ということが、まあ、誰にでもある気がしますが、それを50年後に人目にさらすというのがすごいですね(笑)。 ここまで、茶化すように案内していますが、著者が、こういう作品を世に出すという覚悟は、多分、並大抵ではありませんね。 愛する人を失った時、失恋でも、死による別れでも、それが痛切な痛みとして堪えるのは、愛の対象を失ったからだけではなく、その相手の前で輝いていた自分を失ったからなのでもある。私は2010年に、40年連れ添った妻を失った。彼女の前で自分がどんなに自然に無邪気に輝いていたかを、今ごろになって痛切に感じている。 本書の「おわりに」の章で「知の体力」(新潮新書)という、ご自身の著書からの引用ですが、「愛する人」とか、真っ向から口にされると、まあ、チョットのけぞるのですが、著者の誠実な生き方が告白されていることは疑いないですね。 書くとなると、そこの底まで浚えないと気がすまない様子ですが、歌人というの、そういう性の存在なのでしょうかね。 まあ、しかし、後に、世に知られるようになった、 二人の現代歌人の青春記! 好き嫌いは別れそうですが、やっぱり読みごたえはありますよ。 追記 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2024.03.09 10:58:39
コメント(0) | コメントを書く
[読書案内「近・現代詩歌」] カテゴリの最新記事
|