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カテゴリ:読書案内「村上春樹・川上未映子」
村上春樹 柴田元幸「翻訳夜話2 サリンジャー戦記」(文春新書) ここのところ、サリンジャーが再、再、再、・・・噴火しています。まあ、もちろん、個人的な話ですが、ボクの中でのサリンジャー・ブームは、ほぼ、50年前、だから20歳ごろに大噴火があって、その後、数年おきに小噴火を繰り返し、まあ、50歳を境にして、何となく、もう、イイかな、という雰囲気で鎮火していたのですが、昨年末から読んでいる乗代雄介という作家にうながされるように、20年ぶりの噴火状態です。
で、今回案内するのが2003年、ちょうど20年前に、だからボクが50歳のときに出版された、村上春樹と柴田元幸の対談集、「翻訳夜話2 サリンジャー戦記」(文春新書)というわけです。出版されてすぐに読んだのですが、ブームにうながされて読み直して面白かったので案内しています。こんな目次です。 目次 村上春樹と柴田元幸の翻訳談義は、この「翻訳夜話1・2」(文春新書)のあと、柴田元幸がやっていた、たしか「モンキー」という文芸誌で繰り返し対談していて、それを本にした「本当の翻訳の話をしよう」(新潮文庫)とか、最近では「村上春樹翻訳ほとんど全仕事」(中央公論新社)とか、たくさんあります。 まあ、その中で、サリンジャーに特化して喋りあっているのが本書です。目次をご覧になれば気づかれると思うのですが、村上訳「The Cathcher in the Rye」、野崎訳「ライ麦畑でつかまえて」について、かなり突っ込んだ対談で、まあそこが、本書の読みどころだとは思うのですが、実は、今回、読み直しておもしろかったのは「Call Me Holden」という、まあ、東大の先生であった柴田元幸の「サリンジャー講義」なのですが、なかなかシャレていたので紹介します。 こんな書き出しです。 だから君も他人にやたら打ち明け話なんかしない方がいいぜ、なんて最後の最後に言ったけど、ほんとそのとおりで、あんな話書いちまったものだから、あれからもう五十年以上、要するに君はあの本で何が言いたかったんだいとか、あの話に全体について君はいまどう感じているんだいとか、ろくでもない質問を僕はさんざん浴びせられてきた。そんなこと、答えられるわけないよ。何が言いたいかわかっていたら、何もあんな長い話なんかせずに、はじめっからそれを言ってしまえばいいわけだし、あの話についてどう感じるかって訊かれたって、語ってしまったからにはあれはもう僕だけの話じゃなくて君の話でもあるわけで、君はどう感じているんだいってこっちが訊きたいくらいなのに、そういう質問する人に限って、だってこれは君自身の物語だろう、君自身のことは君がいちばんよくわかってるはずじゃないか、なんて言ったりする。それって物語について、というか人間について何か勘違いしてるんじゃないかな。語ることで、君は君自身から隔たってしまうんだよ、よくも悪くもね。嘘だと思ったら、君もやってみるといい。だけどそうは言っても、そうやって語って、自分自身から離れてみることでしか、自分に近づく道はない気もする。よくわからないんだけどさ。(P226)まあ、こんな感じです。ここから、ハックルベリーを経由して、ラルフ・エリスン、フィリップ・ロスへと展開していくところが、まあ、東大なのですが、おもしろいのは「君」の使用法と「語り」に関する言及ですね。「キャッチャー」でホールデンが語りかける「君」とはだれかというのは、小説の話法としてかなり重要な問題ですが、誰なのでしょうね?アメリカ現代文学を引っ張り出してきて、柴田が語ろうとしていることのポイントの一つがそこにあるんじゃないでしょうか。まあ、それ以上は、お読みいただくほかありませんが、引用部だけでもかなり面白いことをいっていると、ボクは思うのですね(笑)。 で、本章を終えた柴田元幸が、本書の最後の「あとがき」で 小説について、ああでもないこうでもないと話し合うことは、今日ではだんだん少なくなってきているかもしれない。この本がそういう流れを少しでも逆転させることができたら、こんな嬉しいことはない。(P246 ) とおっしゃっているのを読んで、チョット、感無量でしたね。こんなふうに思っていたこともあったなあ。でも、疲れちゃうこともあるんですよね(笑)。
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最終更新日
2024.07.09 09:36:51
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