|
岡田暁生「音楽の聴き方」(中公新書) 今回の案内は音楽学者、岡田暁生の「音楽の聴き方」(中公新書)です。下に目次を貼りましたが、この本自体は、ボクのような、まあ、ただ、ただ、ボンヤリ聴いてきて、演奏者の名前もすぐ忘れるし、演奏形式や楽器についても関心が深まるわけではなくて、
「好き」とか「イイネ」とかで過ごしてきたタイプの人をわかった気にさせてくれる入門書 ですね(笑)。 スラスラ読めて、ちょっと賢くなった気がして楽しい本です。もっとも、彼が「フルトヴェングラー指揮、ウィーン・フィルのブルックナーの第八交響曲」が「本当に素晴らしかった。」とおわりにで書いていらっしゃることが、本当にわかったかどうか、まあ、怪しいのですけどね。 で、 なぜ「案内」か? というと、最近、映画を見るとか、まあ、小説を読むとかでもそうなのですが、自分が、なにをおもしろがっているのかよくわからないことがよくあって、にもかかわらず、他の人に「おもしろかったですか?」とか、「何処がいいですか」とか問われると、困惑というか、自己嫌悪というかに落ち込む経験を繰り返していて、ちょっと、イラついた日々を過ごしていたのですが、偶然手に取ったこの本のこういう所に、 「うん、そうだよな」 という感じで、ちょっと落ち着いたので「案内」という次第です。 芸術の嗜好についての議論において、本来それは「蓼食う虫も好き好き」の「たかだか芸術談義」でしかないはずなのに、なぜ私たちはしばしばかくも憤激したり傷ついたりするのかを、パイヤール(フランスの文学理論家)は次のように説明する。 まあ、ボクの気を鎮めてくれたのは、この一節なので、ここまででいいのですが、これを著者がも一度まとめていますから、それも引用します。 これまでどういう本(音楽)に囲まれてきたか。どのような価値観をそこから 植えつけられてきたか。それについて、どういう人々から、どういうことを吹き込まれてきたか。一見生得的とも見える「相性」は、実は人の「内なる図書館」の履歴によって規定されている。それはいまや自分の身体生理の一部となっているところの、私たちがその中で育ってきた環境そのものなのだ。だからこそ芸術談義における相性の問題は、時として互いの皮膚を傷つけるような摩擦を引き起こしもするし、反対にそれがぴったり合った時は、あんなにも嬉のだろう。での人たかが相性、されど相性。「相性の良し悪し」は、私たち一人一人のこれまでの人生そのものにかかわってくる問題だとも言えよう。芸術鑑賞の下部構造はこういうものによって規定されている。「どんなものを食べているか言ってみたまえ。君がどんな人であるかを言いあててみせよう。」とはブリア・サラヴァン「美味礼賛」の中の有名な一節だが、音楽についても同じことが当てはまるはずである。」(P13~14 ) 第1章のこのあたりで、芸術鑑賞における、 「すきずきの」の固有性 とでもいうことについて書いていらっしゃるのですが、まあ、いってしまえばありきたりな一般論です。なのですが、スラスラ読める文章作法というか、ちょっとおもしろい逸話や、個人的体験の挿入がお上手で、あきずに読めていいです(笑)。 そもそもは10年前の本で、ボクもそのころ読んだんですけどね。 ああ、岡田暁生という人は1960年生まれで、京大の人文研の先生ですね。「オペラの運命(中公新書・サントリー学芸賞)、「ピアニストになりたい!」(春秋社・芸術選奨文部科学大臣新人賞)、最近では、ちくまプリマ―新書の よみがえる天才シリーズで「モーツァルト」とか、素人向けにいい人みたいですね(笑)。 目次、あげておきますね。 目次 まあ、お暇な方、いかが?ですね(笑)
お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2024.06.05 23:36:00
コメント(0) | コメントを書く
[読書案内 「芸術:音楽・美術・写真・装幀 他」] カテゴリの最新記事
|