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ひこ・田中「お引っ越し」(福武書店) 先日、「違国日記」という映画を見ながら、登場人物の高校生が日記を書くというシーンにひっかかってしまって、何となく思い出したのが、新しいところでは乗代雄介という作家の「最高の任務」(講談社)とかの、阿佐美景子シリーズなのですが、そういえば、と思い出したのがこの作品でした。
で、絵本とかの本棚から引っ張り出してきて、244ページの作品を、なんと、半日で読み終えるという快挙達成でした。面白いのです。この本, ひこ・田中「お引っ越し」(福武書店・講談社文庫)です。 1990年8月初版の作品で、一応、児童文学ということになっていますが、かなり評判になったらしく相米慎二が、1993年に映画化しています。キネ旬のベスト2とかで評判だったようですが、ストーリーは原作を離れてたようです。 原作は、小学校5年生の三学期に両親が離婚した漆場漣子(うるしばれんこ)ちゃんが、さまざまな「お引っ越し」体験を記録し続けて、中学校1年の新学期まで書いた日記です。 水曜日 お父さんが出て行った、この日からの日記が、小説として描かれていますが、基本、レンコちゃんの一人称です。 この日記には、あの映画の感想で書いた 「あんた誰?」 という、自問は出てきませんが、読み続けていると、あの映画で印象に残った主人公の態度を代弁するかの記述が出てきます。 今日ガッコに来るの、緊張した。とうさんがいなくなって初めてのガッコ。別にだれも知らないから、関係ないけど、私は知っているから、緊張した。 映画の朝ちゃんは両親の死で、日記のレンコちゃんは離婚、一方は中学3年生で、こっちは小6、違いはありますが、それぞれ、他の人とは違う「私」がいるんです。いなければ、生き延びていくことができませんでしょ。 でも、ガッコの先生って、「私」が大事とか、口では言うのですが、一緒にしちゃうんです。 センセは私の頭に手を置いて、ゆすった。 「日記」を書くっていうことが、どういう意味を持つのか。 「あんた誰?」 という問いが、 「私」を2人称化したうえで、3人称として捉えて「書く」という軽やかさ によって、がんじがらめの関係の網を飛び越える自由を手に入れることができるんじゃないでしょうか。 映画では、朝ちゃんが、ノートにイラストを描いていましたが、丸と線だけの自画像こそが、「あんた誰?」と自問していた朝ちゃん自身であり、軽々と飛び越えていく「私」の発見だったんじゃないか、まあ、そんなことを「お引っ越し」を読みながら考えたわけです。 「違国日記」という映画を見てない人にはもちろんですが、見た人にも、まあ、わけのわらないことを書いていますね(笑)。ただ、この「お引っ越し」ですが、なかなかな作品だと思いますよ。 「今頃なに読んでるの?私の本よ!映画も見たわよ。」 チッチキ夫人も、ああ、これは相米慎二の、映画の「お引っ越し」の方ですが、小説も映画もおススメのようですよ。 まあ、わけわかんないことを、あれこれってますね。
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最終更新日
2024.07.09 00:42:09
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