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カテゴリ:読書案内「昭和の文学」
司馬遼太郎「故郷忘じがたく候」(文春文庫) 「ちゃわんやのはなし」というドキュメンタリー映画を見ていて思い出した作品です。
司馬遼太郎は、いわば、昭和の高度経済成長の時代を象徴する歴史小説・大衆小説作家だといっていいと思います。その彼が、50代に達した1970年代、傑作「空海の風景」(中公文庫)を書き終えた頃から、72歳、1996年に亡くなる、ほぼ、20年間、所謂、小説を離れ、「街道をゆく」と題した歴史紀行エッセイの傑作シリーズを書き続けたことは、彼の読者であれば誰でも知っていることですが、ちょうど「街道をゆく」が始まったころ、1976年に短編集として出版されたのが、映画を見ていて思い出した「故郷忘じがたく候」(文春文庫)でした。 雨が壺を濡らしている。壺は、庫裡のすみにころがっている。 昭和23年ごろ、京都の西陣の町寺での逸話から書き起こされているエッセイですが、産経新聞の記者として、その町寺あたりが担当だった若き日の司馬遼太郎と「薩摩焼」との出会いのシーンです。 「この陶片はおそらく薩摩焼のなかでも苗代(なえしろ)川の窯(かま)であろう。苗代川なればこそあたしは朝鮮と見まごうたし、まちごうても恥ではない、苗代川の尊さは、あの村には古朝鮮人が徳川期にも生きていたし、いまもなお生きている」といった。 司馬遼太郎と戸数七十軒ばかりの苗代川、今では美山という新しい村名がついている薩摩焼の朝鮮人集落との出会いのエピソードです。 彼は村を訪ね、十四代沈寿官という陶工と出会い、心を奪われる体験をしたことが「故郷忘じがたく候」という、文庫本で70ページたらずですが、歴史とは何か、日本とは、朝鮮とは、を語る傑作エッセイとして書き残されることになります。たとえば、ほぼ50年後の2023年、松倉大夏という監督によって「ちゃわんやのはなし」という十五代沈寿官を追ったドキュメンタリー映画がつくられますが、このエッセイなしには、あの映画はなかったとボクは思います。 本書について、文庫版の解説で山内昌之はこんなふうに評しています。 司馬遼太郎の「故郷忘じがたく候」は、日本を語りながら韓国を語り、日韓の歴史に託して日本人とは何かを論じた達意の文章として読者の記憶に残り続けることだろう。ちなみに、書名の由来にですが、本書の中に天明の頃の医者、橘南谿という人物が「東遊記」という旅行記の中に記している苗代川を訪れた逸事が紹介されています。 伊勢の橘は、「これらの者に母国どおりの暮らしをさせ、年貢を免じ、士礼をもって待遇している薩摩藩というのは、なんと心の広いことをするものだろう」と感じいっている、一方で、橘南谿はひとりの住人に尋ねている。いかがでしょう。まあ、ボクは映画の宿題が一つ終わったということで、とりあえずホッとしています(笑)
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最終更新日
2024.08.25 10:20:45
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