内田樹「図書館には人がいないほうがいい」(アルテスパブリッシング) あのー、ですね、40年近く高校の国語の教員をやってきて、最後の数年、図書館長という、まあ、そういう役職名はないんですが、勝手にそう名乗る仕事になって、如何に、よりたくさんの生徒さんが図書館に来るかということ目標にして仕事をしました。
手製の看板やチラシを作ったり、特集コーナーを作ったり、大工仕事を請け負っていただいた校務員さんともども、悪戦苦闘というか、まあ、実際は楽しい日々だったのですが、まあ、しかし、高校の図書館に生徒さんを呼ぶのは至難の技でした。
で、あれから、10年ですね。先日、市民図書館の新刊の棚に内田樹の「図書館には人がいないほうがいい」(アルテスパブリッシング)という本を見つけて、書名の過激さに、思わず借りてきました(笑)。
で、ご案内です。 図書館にはね、本来、人が集まって、ワイワイやる機能はないの、誰もいない、本だけ山盛りあるのが正しいの。それでいいの!
まあ、そういうご意見です。で、あれこれ苦労したことをすっかり忘れて、ナルホド!
と納得でした。
とりあえず、この本ができた経緯について内田さんが語っています。少し長いですがお読みください。もうこれだけで「読書案内」ですね(笑)・ 日本語版のためのまえがき
というタイトルを見て驚く方がおられると思います。そうなんです、これは「韓国語版」がオリジナルで、それを翻訳したのがこの「日本語版」という本なんです。
最初に少しこの本の出自についてご説明します。
僕は10年くらい前から毎年韓国に行って講演旅行をしています。最初のうちは教育関係の講演依頼が大半でした(『先生はえらい』や『街場の教育論』が僕の著書の中では比較的早くに韓国語訳が出たせいです)。でも、そのうちに僕の他の分野の著作もどんどん訳されるようになりました(これまでに40冊くらい訳されたそうです)。『レヴィナスと愛の現象学』や『レヴィナスの時間論』のような「難物」まで訳されているのです。
これはひとえに本書の企画をしてくれた朴東燮先生という献身的かつ超有能な翻訳者のおかげです。
朴先生は「世界でただ一人の内田樹研究者」を自認されるほどの内田フリークで、僕の著作は当然、ブログに書いたものも、SNSに書いたものも、誰も知らないような媒体に寄稿したものまで、ほぼ網羅的に蒐集しているという奇特な方です。最初にお会いしたころはヴィゴツキー心理学を専門にする大学教員だったんですけれど、大学を辞めて「独立研究者」になり、以後は好きなことを研究したり、本を書いたり、セミナーを開いたり、こうして僕の書き物や日本のさまざまな書物を韓国の読者に紹介する仕事をしておられます。
日韓の文化的な相互理解のために朴先生ほど尽くされている人は他になかなか見出し難いので、ほんとうなら日韓両政府から「日韓の相互理解と相互信頼の醸成のために大きな貢献を果たした」といって勲章をもらってもいいくらいのご活躍をされています。残念ながらいまの日韓両国政府には「日韓市民が相互理解を深める」ことを外交的なポイントにカウントする政治的習慣がありません。安全保障のことを真剣に考えたら、こういう仕事こそODAや合同軍事演習よりずっと価値があると思うんですけれど。まあ、愚痴を言っても始まりません。
とにかくその朴先生のおかげで僕の本が韓国語にどんどん訳されて、おかげで「内田というのは、なんだかいろいろなことを書いているらしい」ということが韓国内で周知されるようになりました。そしてついには「韓国で企画された、韓国オリジナルの内田本を出したい」と考える出版社まで登場してきたのでした。これには僕もびっくりしました。
3年前にソウルに行ったときにその出版社の方とお会いしました。熱心に企画をお話しくださるのですが、僕は、ご存じのようにだいたいいつも同時並行に数冊の「文債」を抱えていて、「まだかまだか」と編集者に責められて青息吐息というのがデフォルトなので、とても新規の書き下ろしは無理ですと申し上げました。それでも、「内田先生の本を待望している韓国の読者のためにぜひ」と熱心に懇請されて、僕もふらふらと心が動いて、「じゃあ、みなさんから『内田に訊きたいことがある』というご質問があれば、それを伺って、それに僕がご返事をするというかたちで書くことにしましょう」とご返事をいたしました。
そうやって朴先生と往復書簡のやりとりが始まりました。それが1年ほど続いて、なんとか一冊の本になりました。でも、それはこの本じゃないんですよ。間違えないでくださいね。それは韓国では『内田樹の勉強論』というタイトルで出版されました(そのうち日本語版も出るはずです)。
本書も韓国語版がオリジナルですけれど、コンテンツは日本語の「ありもの」コンピレーションです。本書の骨格になったのは僕が2023年夏に図書館司書たちの集まりで講演をしたその講演録です。講演録そのものは学校図書館問題研究会の機関誌に掲載されたのですが、機関誌ですからあまり読者が多くない。せっかくだからと僕のブログに上げました。するとそれを読んだ朴先生が「図書館と書物を主題にして一冊作る」というアイディアを思いつかれたのです。
そうして、僕がこれまでに書いた「図書館と書物」についてのエッセイを片っ端から集めて一冊作り、それを韓国語に訳して、『図書館には人がいないほうがいい』というオリジナルのコンピレーションを作りました。
その本は今年(2024年)の春に刊行されましたが、驚くべきことに、僕の本としては初めて韓国でベストセラー入りしました(ほぼすべての主要メディアが書評に取り上げてくれました)。内田本としては過去最高の売り上げを記録中だそうです。すごいですね。これは朴先生の企画力の勝利という他ありません。
その日本での出版を朴先生がアレンジしてくださり、こうしてアルテスパブリッシングから出ることになったのが、この日本語版です。
朴先生は韓国語版のために長文の「内田樹論」を書いてくださいました。李龍勲先生も韓国の図書館文化にとって本書が持つ意味を明確な言葉で語ってくださいました。この場を借りてお二人のご厚意にも感謝申し上げます。
先に書いた通り「ありものコンピレーション」ですので、たしかに韓国の読者にしてみたら、どれも「初めて読むテクスト」ですけれども、日本人読者にとってはそうではありません。収録されたテクストの大半は僕のブログにすでに掲載されていて、今でも読めます。図書館司書さんたち相手の講演録は、半分弱に縮めて、『だからあんなに言ったのに』(マガジンハウス新書)に採録しました。ですから、そちらをお読みになった読者が本書をぱらぱら読んでいるうちに強い既視感に囚われて「ああ、オレはデジャヴュを経験しているのだろうか」と頭がくらくらしても、病気じゃないから大丈夫です。ほんとに「同じ話」を読んでいるんですから。
図書館司書さんのための講演以外にも、「これ、どこかで読んだぞ」というものが散見(どころじゃないです)されると思いますが、これはもともと日本で既発のものを韓国語に訳して出すという企画ですから、「日本で既発のもの」については既読感があって当然なんです。
ですから、この「まえがき」で読者のみなさんに警告しておきますけれど、中身を読まずに買っちゃだめですよ。まずぱらぱらと立ち読みして、「既読のもの」と「未読のもの」の比率が……そうですね、3:7くらいだったら、買ってもいいと思います。既読が4割超えてるなと思ったら、書棚にそっとお戻しください。でもほら、好きなミュージシャンのベスト・アルバムを買うときって、「ほとんどの曲はもう持ってるけれど、これとこれはこのアルバムにしか収録されていないからなあ……」と悩んだ末「えいや」と買うっていることあるでしょう。あの気合ですよ。
さて、以上でこの本の成り立ちと「警告」はおしまいです。
この本の中味について少しだけ解説しておきます。
これは図書館と書物に関する本です。僕は本が大好きです。今読んでいる本も、これから読む本も、たぶん読まずに生涯を終える本も、読んだけれどすっかり内容を忘れてしまった本も、あらゆる本を僕は深く愛しております。その形態が紙であれ電子書籍であれ、ベストセラーであれ a selected few のための本であれ、あらゆる書物に神の祝福が豊かにあることを僕は願っております。
僕がこの本で言いたかったことはとりあえずは二つです。一つは、書物の歴史は資本主義の歴史より長いということ。もう一つは、書物はたとえそれを手に取る人が100年間一人もいなくてもそれでもアーカイブされる価値があるということです。
僕がそう思うようになった理路については本書を徴されてください。
僕がその意を強くしたのは『ジョン・ウィック:チャプター2』(2017年)を観た時です。本書にも書きましたが、あの中でニューヨーク中の殺し屋に追われる身となったジョン・ウィックはニューヨーク公共図書館に逃げ込みます。ひとけのない書架の奥の方にある厚い書物をくり抜いて、そこにジョンはたいせつな宝物を隠していたので、それを取りに行ったのです。もちろん宝物はちゃんとそこにありました。彼がその本を前に書架に戻してから後、どれくらいの歳月が流れたか知りませんが、誰一人その本を開かなかったのです。僕はその場面を観て、「図書館はこうじゃなくちゃ」とつい呟いてしまいました。そうなんですよ。そこが図書館の「すごいところ」なんです。
図書館は「アーカイブするところ」なんです。そして、書物であれ、美術品であれ、音楽であれ、アーカイブされた場所にはいつの間にかある種の「深淵」が開口し、そこに身を投じると、人は「地下水脈」に触れることができる。
この本はそういう「変なこと」をなんとか読者のみなさんに分かってもらおうと思って書てくれました)。
では、最後までどうぞお読みください。また「長いあとがき」でお目にかかります。
いかででしょうか。
ボクが、本書を読み終えてポイントだと思うのは 図書館は「アーカイブするところ」なんです。そして、書物であれ、美術品であれ、音楽であれ、アーカイブされた場所にはいつの間にかある種の「深淵」が開口し、そこに身を投じると、人は「地下水脈」に触れることができる。
ですね。
「アーカイブ」っていう流行言葉が使われていますが、直訳すれば、「保存する」ですね。ご存知でしたか?そうなんです、図書館は「本の置き場」
なのです。
教員生活最後の数年間、ボクは開架書棚と奥の倉庫にある5万冊を越える蔵書の表紙にバーコード・ラベルを貼り、PCの蔵書目録にデータを記入し、貸し出し可能な蔵書化するのが仕事でした。
本好きの教員には、夢のような仕事だったのですが、気づいたことが一つだけあります。PCで、データ化された本と棚に並べた本はちがうのですね。
迫力というか、リアリティというか、影響力というか、何かが違うのです。
それから、もう一つ、つくづくと実感したのは、まあ、ちょっと古いとはいえ、県立高校の、たかだか5万冊程度の蔵書を触って、40年近く教員をしてきた自分の読書量の少なさでした。教員面の割に、大した本を読んできたわけじゃあねえな!
まあ、その時感じたのは、そういう気分でしたが、で、この本で、内田さんがおっしゃっていることは、多分そういうことです。図書館で大切なことは棚を見上げた人間に「おまえは大した奴ではないね!」
と教えることなんです。
まあ、そのあたり、著者の語り口の面白さも含めていかがでしょう。本好きな人には、特におすすめですよ。
追記
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