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カテゴリ:読書案内「昭和の文学」
半藤一利「清張さんと司馬さん」(NHK出版) 今日の読書案内は半藤一利という方の「清張さんと司馬さん」(NHK出版)です。今では文春文庫で読める本のようですが、ボクが読んだのはNHK出版の単行本です。
2001年ですから、もはや20年も昔の「NHK人間講座」という教養番組のために、当時、存命だった半藤一利が書いたテキストがNHK出版から単行本化されている本ですが、単行本にするための大量の「註」が新たに書きこまれていて、どっちかというとそこが面白い本です。 「清張さん」というのは松本清張で、「司馬さん」というのは司馬遼太郎です。著者の半藤一利は、今では「昭和史」(平凡ライブラリー)、「幕末史」(新潮社)、「漱石先生ぞな、もし」(文春文庫)で、作家・歴史家として知られていますが、もとは文藝春秋社の編集者で、駆け出しの編集者時代に、まあ、敗戦後の昭和を代表するお二人の「文豪」と出会い、伴走者として仕事をしたからこそというところがこの本の読みどころでした。 表題のお二人は、それぞれ、松本清張は1909年(明治42年)生まれで、1992年(平成4年)没。司馬遼太郎は1923年(大正12年)生まれで、 1996年(平成8年)没。ついでに著者の半藤一利は1930年(昭和5年)生まれで2021年(令和3年)没です。 もう、この世にいない人が、もっと前にいなくなった二人の作家について、それぞれ生前の出会いの思い出を語っている本です。 まあ、そういうわけで、今となっては、本もですが内容そのものが骨董品のようなものですが、実は、ボクが、まあ、そういう本を今ごろ案内している事情にはもう一人の亡くなった方が絡んでいらっしょいます。 といいますのは、今年2024年の6月に亡くなった、江戸、幕末思想史のエキスパートで、神戸大学の名誉教授だった野口武彦先生(一応、門下生)の、まあ、膨大な蔵書整理、いや、処分かな?で、古本屋さんのお手伝いをする機会が最近あったのですが、その時、ふと目にとまって、ちょっとパチってきた本なのです(笑)。遺品ですね。 先生が残された本を読む楽しみは、傍線と書き込み、それから付箋、ポストイットとの出会いです。 「シマクマ君、これ読んだ?ここ、面白いよ」 先生の、あの、ニコニコ笑顔と一緒に聞こえてくるささやき声を聴きながら、ボク自身が、今、どちらの世にいるのか、朦朧たる 至福の読書(笑) ですね(笑)。 まあ、私事はともかく、本書の内容ですが下に目次を貼っておきますね。 で、あちこちに引かれている傍線ヶ所から、一ヶ所紹介します。 第六章「巨匠が対立したとき」 長い引用になりますから端折りますが、結論はこうです。 松本 端的にいえば、安政の大獄以前の攘夷は、神国をけがすといった式の、きわめて単純素朴な考えだったと思う。それから以後の攘夷は幕府を倒す武器になる。そこんとこの攘夷論は性格を見分けていわないと、いっしょにいうと、あれはわからなくなっちゃうんだ。で、半藤一利のまとめは 司馬さんの小説は、ということは歴史の見方ということになりますが、司馬さんの言葉を借りれば、歴史を上から鳥瞰するように捉える。つまり、歴史を大づかみして読者に示しながら、登場人物の活躍を描くことで、歴史のうねりを手に取るようにわからせる。この俯瞰的な見方が司馬さんが歴史を語る時にも、文明批評をするときにも、見事に適用される。そのことが清張さんとの議論でも発揮されていると、わたくしには思えるわけです。 わざわざ赤鉛筆でひかれている傍線ヶ所を太字にしましたが、フフフでしたね。司馬遼太郎は歴史を上からのぞき込んでかっこいい奴を選び出し、松本清張は下から見上げて、怪しい奴を追及する。 バブルから平成の時代に、司馬遼太郎があれほど流行って、松本清張は忘れられたのか?わかりやすいが好きな現代でも、司馬が描いた竜馬はマンガ化されたりで、ウケ続ける理由がこのあたりにありそうですね。 目次 本書の山場は、昭和史をめぐる二人のスタンスの相違ですが、まあ、そのあたりはどこかで手に取っていただくほかありませんね。ボクのほうは、久しぶりの半藤一利ブームがやってきそうな予感です。またご案内しますね。
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最終更新日
2024.09.16 01:28:26
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