週刊 読書案内 吉本隆明「ちひさな群への挨拶」(思潮社)
吉本隆明「ちひさな群への挨拶」「吉本隆明代表詩選」(思潮社)より 三泊した病室で天井をボンヤリ見ながら、周りから聞こえてくるうめき声やしわぶき、ときどき響き渡るモニターの発信音を聞きながら、何故か、50年ほど昔の下宿暮らしの頃に、天井に貼っていた詩の文句が浮かんできて、スマホを取り出してググってみると、結構、出てくるもので、しばらく、自分が今いる境遇を忘れて読みふけっていると時間もいつの間にかたっていて、少しうとうとできるという体験をしました。 自宅に帰ってきて、もう一度、今度はそれぞれの詩集とかで読み直しながら、2024年の5月の月末の備忘録のような気持ちで、思い出した詩を写しておくことにします。 とりあえず、一つ目は吉本隆明の「ちひさな群への挨拶」です。 ちひさな群への挨拶 吉本隆明あたたかい風とあたたかい家とはたいせつだ冬は背中からぼくをこごえさせるから冬の真むかうへでてゆくためにぼくはちひさな微温をたちきるをはりのない鎖 そのなかのひとつひとつの貌をわすれるぼくが街路へほうりだされたために地球の脳髄は弛緩してしまふぼくの苦しみぬいたことを繁殖させないために冬は女たちを遠ざけるぼくは何処までゆかうとも第四級の風てん病院をでられないちひさなやさしい群よ昨日までかなしかつた昨日までうれしかつたひとびとよ冬はふたつの極からぼくたちを緊めあげるそうしてまだ生れないぼくたちの子供をけつして生れないやうにするこわれやすい神経をもつたぼくの仲間よフロストの皮膜のしたで睡れそのあひだにぼくは立去ろうぼくたちの味方は破れ戦火が乾いた風にのつてやつてきさうだからちひさなやさしい群よ苛酷なゆめとやさしいゆめが断ちきれるときぼくは何をしたらうぼくの脳髄はおもたく ぼくの肩は疲れてゐるから記憶という記憶はうつちやらなくてはいけないみんなのやさしさといっしょにぼくはでてゆく冬の圧力の真むかうへひとりつきりで耐えられないからたくさんのひとと手をつなぐといふのは嘘だからひとりつきりで抗争できないからたくさんのひとと手をつなぐといふのは卑怯だからぼくはでてゆくすべての時刻がむかうかわに加担してもぼくたちがしはらつたものをずつと以前のぶんまでとりかへすためにすでにいらなくなつたものはそれを思いしらせるためにちひさなやさしい群よみんなは思い出のひとつひとつだぼくはでてゆく嫌悪のひとつひとつに出遇ふためにぼくはでてゆく無数の敵のどまん中へぼくは疲れてゐるがぼくの瞋りは無尽蔵だぼくの孤独はほとんど極限(リミット)に耐えられるぼくの肉体はほとんど苛酷に耐えられるぼくがたふれたらひとつの直接性がたふれるもたれあうことをきらった反抗がたふれるぼくがたふれたら同胞はぼくの屍体を湿つた忍従の穴へ埋めるにきまつてゐるぼくがたふれたら収奪者は勢いをもりかえすだから ちひさなやさしい群よみんなのひとつひとつの貌よさやうなら 今回、書き写すために参照したのは思潮社の「吉本隆明代表詩選」というアンソロジー詩集ですが、その中に、10年ほど前に亡くなった詩人、辻井喬さん、実業家としての名は堤清二で、西武百貨店の重役だった人ですが、彼のこんな言葉がのっています。 吉本隆明の作品を考える場合、「詩」という言葉でどこまで含めたらいいかという問題にぶつかります。というのは、たとえば「マチウ書試論」は感性に訴える思想の運動を記した詩作品だと思うからです。しかし、不本意ながら慣習に従うなら「転位のための十篇」のなかの「ちひさな群への挨拶」でしょう。辻井喬 ボクが記憶していたのはひとりつきりで耐えられないからたくさんのひとと手をつなぐといふのは嘘だから という2行でしたが、1974年に二十歳だった青年は何を考えていたのでしょうね。でも、まあ、そういう時代が50年前にあったことは事実で、そういう感受性というのは、どこかに眠っているのかもしれませんね(笑)。 追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)