週刊 読書案内 鶴見俊輔 「詩と自由」 (思潮社)
鶴見俊輔 「詩と自由」 (思潮社) 黒川創の「鶴見俊輔伝」をこのブログで案内していますが、じつは鶴見俊輔その人は、文句なしに信用している「哲学者」、「思想家」、いや「人間」というのが一番ぴたりと来る、そういう人です。 その鶴見俊輔について書いて、2004年ですから15年も昔になりますが、高校生に配っていた「読書案内」がありました。書いていることは、ぼくにとっては、いまでも違和感のないことです。イラク派兵が問題になっていた当時ですから、古いといえば古いのですが、逆に、今、現在に対しては案外リアルかもしれないと思います。ほぼ、そのまま再録します。 ※ ※ ※ 現代文の授業に鶴見俊輔の「石の笑い」の話が出てきました。彼は、ぼくが文句なしに信用している哲学者です。 世の中にはいろいろなことをいろいろにいう人は、当然、様々いるわけで、こうやって「読書案内」などと柄にもないことをやっているぼくなどもその一人。たとえ、三百人あまりの高校生相手であっても、もっともらしい講釈をたれていることにちがいはありません。 問題は読者として、あるいは、聞き手としての態度ではないかと、ぼくは考えています。大切なことは疑うことです。疑うためには、それ相応の修練もいるかもしれませんが、直感でも、怪しいものは怪しいともいえるかも、とも思います。 ずっと、そう思ってきましたが、逆に、この人はと鵜呑みにして、そのまま理解したいと思ってしまう人と出会うこともあるかもしれません。 宗教的な出会いや、社会的な出会いや、ほかの人から見ると、ちょっとおかしいとか、危ない、そんなふうに見える出会いかもしれませんが、高校生を過ぎたころに、そういうふうに出会ってしまった場合は、とにかく騙されてしまうのも、一つの出会いといえるかもしれません。 大学生の頃、その人の本と出合って、以来、鵜呑みにしてでも、その人のいうことを受け入れたい、わかりたいというふうに思い続けた人の一人が、ぼくにとって鶴見俊輔という人でした。 その鶴見の『詩と自由』という新刊を読みました。思潮社が「詩の森文庫」というシリーズで出している一冊です。そこで、以前に発表された記事ですが、次のような文章に出会いました。ぼくが鶴見俊輔を信じている理由の一つがここにあります。しようがないので、全文無断転載しようと思います。直接読んでください。 宮柊ニのこと A「人のものをぬすむのは、よくないことだ」 B「おまえも、ぬすんだことがあるじゃないか」 A「・・・・」 Bの発言は、C・L・スティーヴンスンの『倫理と言語』では、「弱め」、という型にあたり、Aの倫理的主張の反証をあげたことににはならない。しかし、Aの主張の気勢をそぐ役割は、果たしている。 気勢をそがれた倫理の主張は、どうなるか。どのように主張をつづけることができるか。これは倫理にとって、また倫理学にとって大切な問題だ。 歌人宮柊ニがなくなって、追悼の記事が、十二月十三日付「朝日新聞」の「天声人語」に出ていた。 一兵士として中国大陸にいた時の歌。 ひきよせて寄り添うごとく刺ししかば声もたてなくくずをれて臥す 二十歳ほどの中国女性が密偵としてひきたてられてきて、「私は中共軍の兵士です」とだけ言って、みずから死をえらんだ。「その短い言葉は詩のような美しさに漲ってゐた」という回想もあるという。 三十一年前から関節リューマチにかかり,脳血栓でたおれた。しかし、歌をえらぶ仕事(宮氏は朝日新聞の投稿短歌欄「朝日歌壇」の選者のひとりだった)をつづけた。一日がかりで五十首えらんだ、それを夫人が書きうつし、その中から十首えらぶ。もとの五十首は大切に保存していたという。晩年の宮氏の歌に次のものがある。 中国に兵なりし日の五ヶ年をしみじみと思う戦争は悪だ 享年七十四歳だった。 「婦人之友」新年号をみていると、最後の歌のひとつだろう、次の一首があった。 白樺も桜もすべて落葉して時移りつつ目の前に立つ はじめにかかげたスティーヴンスンの問題は、『倫理と言語』でその定式に出会う前から、私にとって問題だった。私だけでなく、戦争にとらえられた多くの人たちの問題だっただろう。 宮柊ニのような運命に私が出会わずに終ったのは偶然である。戦後になって私の達した解答は、自分が血刀さげ、自分の手が血でよごれていようと,その手をはっきりと前にひろげて、「自分は人を殺した。しかし戦争は悪い」と言い得る人になろうということだった。 私は短歌の世界に暗い。敗戦後の四十一年、どれほどの短歌を読んできたのか、こころもとない。たまたま「天声人語」による宮柊ニの作歌歴の要約を読んで、戦争中に自分のかかえていた問題を、この人は抱き、その問題を戦後のこの長きにわたってすてることなく抱きつづけたことを知った。 (「京都新聞」一九八六年十二月二十日) この記事に関連していえば、鶴見俊輔自身はフェミニズムの社会学者上野千鶴子、現代史学の小熊英二との対談集『戦争が遺したもの』(新曜社)の中で戦中に軍属として「従軍慰安婦」強制の現実とかかわりがあったことを告白しています。 ぼくは学生時代に鶴見の著書と出会いました。実は記号論理学の哲学者ですが、マンガから社会思想に至るさまざまな著書があります。それらは、「ぼく自身が考えたこと」を疑う時の指標でした。ぼくにはまだ、「彼の考えていること」を疑う力はありません。何とか理解したいと思うだけです。 歌人宮柊ニ。哲学者鶴見俊輔。歌人は、復員から40年、命耐えるその直前まで、老哲学者は戦争から50年、今もなお、そこで抱え込んでしまった「お前は生きながらえていいのか」という「問題」と苦闘していると思いませんか。 この人が言うこと、言ったことは誰かに伝えよう、ぼくは、今、そう思っています。(S)追記2019/09/18 若い人たちに、自分が思うことを、直接語りかけたり、プリントに刷って配ったり、そういうことが思うままに出来ていたあの頃は楽しかったと、最近よく思います。 ブログとかに書き込みながら、「いったい誰に向かってこんなことを言っているのか」という、疑いというのか、自己憐憫というのか、そういう気分が沸き上がってくるときがあります。それでも、書くことが楽しいと思えるようになりたいと思っています。追記2022・06・21 ゴジラブログとか、面白がって名前を付けて、書き始めて5年が過ぎました。上の追記にあるように「いったい誰に向けて、こんな浅はかな感想や思い付きを書いているのだろう?」という自問が、最近、頻繁に起こって、ワープロを打つ手が止まることがよくあります。経験したことのなかった流行病の蔓延があったり、海の向こうで戦争が始まったり、感じたり思いついたりすることの刺激やきっかけには事欠かない生活なのですが、何せ、毎日に生活の積極的なリアリティが、なんというか、遠ざかっていくような頼りなさにため息をつく毎日です。 たとえ、このブログのような、場所であっても、「書くことの楽しさ」を求めるなら、書き続けるよりほかに方法はありません。実際には、自分が想像しているより、ずっとたくさんの方が読んでくださっていることに謙虚に向き合い、元気を出していこうと思っている今日この頃です(笑)。今後ともご愛顧よろしくお願いします。にほんブログ村ボタン押してね!