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テーマ:楽天写真館(356121)
カテゴリ:国内旅行
首里城へは、何度来たことでしょう 1992年(平成3年)に、首里城の正殿などが旧来の遺構を埋め戻す形で復元された その後2000年(平成112年)12月、「琉球王国のグスク及び関連遺産群」として世界遺産に登録されました 正殿は有料エリアですし、見学するには時間も短いのでなので、今回はパスしました 首里城公園 守礼の門 扁額【へんがく】に「守禮之邦(守礼之邦)」と掲げられていることから 守礼門と呼ばれるようになったという 「園比屋武御嶽石門」→「そのひゃんうたきいしもん」 御嶽は国王が各地を巡航する旅に出る際必ず拝礼した場所 首里城公園内の守礼門と首里城正門である歓会門の間にある 首里城と同じく世界遺産 首里城に登城する際、守礼門を過ぎてから園比屋武御嶽から緩やかな坂を上っていくと、首里城の正門である歓会門に出ます 正門に当たる歓会門、瑞泉門、漏刻門 と3っの門を通り、広福門から下之御庭に向かうと言うのが正式な道 歓会門(かんかいもん) 首里城の城郭(じょうかく)内へ入る第一の正門で、「歓会(かんかい)」とは歓迎するという意味 瑞泉門(ずいせんもん) 冊封七碑(さっぽうしちひ) 「冊封七碑(さっぽうしちひ)」とは、龍樋の周辺に設置されている七つの石碑のことである 広福門(こうふくもん) 「広福(こうふく)」とは、「福を行き渡らせる」という意味である 「広福門(こうふくもん)」は別名「長御門(ながうじょう)」といい、第四の門である ・正殿は有料エリアです 2011年5月29日(日)~31日(火)まで、2泊3日で旅のときに首里城正殿を訪れているので省きました 首里城正殿 * 首里城正殿 1879年(明治12)春、首里城から国王が追放され「沖縄県」となった 2000年12月、日本で11番目の世界遺産として文化遺産に登録 「その昔 琉球王国あり 首里城という」 琉球衣装を着た案内人さん 国王の玉座(御差床ーうさすか) 御差床の壇上にあるてすりの正面には豪華な金の龍柱が立っています 皇帝の扁額 「中山世土(ちゅうざんせいど)」 中山は代々、琉球王国である 「「輯瑞球陽(しゅうずいきゅうよう)」 琉球が幸せで有る事を祈っている 「「永祚瀛ゼン(えいそえいぜん、ゼン=土へん+需)」 海の向こうにある琉球を永く幸いに納めよ の三枚が復元されています。 欄間の龍 御差床の羽目板にはブドウとリスが彫刻されています 御差床の高欄(てすり)には、鉄線(クレマチス)の花が描かれています 石垣 久慶門 俗に「ほこり御門(うじょう)」と呼ばれ、通用門として主に女性が利用していました ------------------------------------------------------ ・正殿は行かずに公園内(西のアザナ)を散策をすることに ほとんど 人がいない 標高約130mの城郭の西側に築かれた物見台で、ここからは那覇の町や那覇港の様子 そして遠く水平線上に慶良間諸島などが展望できる 首里城アコウの根 根がこんなに地面に張りついていました ビックリです 昼食は国際通りを経て、牧志公設市場で 1階で購入したお魚を刺身に調理してもらいました カラフルな魚達 これは「アオダイ」 刺身にしたら一番美味しいのは「スジアラ」だというので調理してもらいました 「アオダイ」と「海ブドウ」はおまけだそうです 「アオダイ」は湯引きをするようです アラはお味噌汁に 昼食後 平和通りの 那覇市を代表するアーケード街を散策 続く 次回は、沖縄でなくてはならない「しりしり~器」の話 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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