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第1章 突然の死と波紋 死の直前に夫人がもらした一言 昨年の4月25日に起きた事は、本当はもう何も思い出したくない。(中略)危険な言い方かもしれないが、あれは、限りなく他殺に近い自殺だ。 私と豊君の兄、康が茂み夫人の連絡を受けて彼のマンションに着いた時、彼はマンションの前に停めた車の後部座席で、のたうちまわっていた。(中略) ようやく、自宅マンションのドアの前まで来た時、「ちょっと待って下さい。隣の人がいます」 隣人に気づいた夫人が、私たちに身をかくすように言った。 繁美夫人によれば、病院で安定剤を打たれてからこうなったという。しかし、私は、多分、康もだが、彼がどうしてこうなったか、たったひとつのことだけをかんがえていた。が、それは怖くて二人とも、口にすることはためらわれた。」 と、ここまで書いてきて思い出したのだが、白髭橋病院のお医者さんは、退院させるのなら命の保証は出来ないと、 念書を書いてもらうくらい言ったとテレビで、話していたはずだ。 著者の大楽さんの克明な描写に、そんな事は、全然出てこない。 それどころか、尾崎の汗を吸い込んだトレーナーを替えるために夫人に声をかけたときの描写は、こうなっている。 風をひいたら大変と思い、私はとなりの部屋の繁美夫人に、ドアごしに静かに声をかけた。 「繁美さん」 返事はない。 「繁美さん」 もう一度声をかけたが、やはり返事がない。 「あのう、繁美さん。豊君のトレーナーを替えてあげたいんだけど・・」 「子供が寝てるんです。静かにしてください」 返事はそれだけだった。妙に冷たい声だった。 「康、どういうことだろう」 「・・・」 康は、黙ったまま目をそらした。 これから後は、延々とお金や、莫大な利権に関しての、壮絶なやりとりで、どうみても 大楽さんや、お兄さん、お父さんたちは、やられっぱなしです。 でも、 彼等が我慢したのは、尾崎の一人息子のためだと思いますね。 最後に、かかれていること。 「おわりに 私がアイソトープを抜けてからも、実はいろいろな攻撃を受けてきた。豊くんがワープロで打ち込んだフロッピーを返せとか、ありもしない絵を返せとか、死後の内幕をマスコミにしゃべるなとか、ほとんど言いがかりにちかいものだった。 先にもふれた、私と豊くんとの契約書にうたってある退職金など、一切 払うつもりもないようだ。 もともとそんなつもりもなかったが、ここまで一方的にやられて黙っているのは嫌だった。 私はアイソトープを告訴することにした。(中略)私はこの本を書くにあたって康くんとお父さんに許しを得た。彼等は快く許してくれた。 彼のファンの誰もが、まず始めに、私と康が抜けた理由を知りたがった。 私設のファンクラブの代表のコたちのところには、アイソトープの名で、そのクラブのイベントを中止するよう内容証明郵便が送られていた。豊君がいきていたならそんなことをしただろうか。(中略) 」 私的には、 なんだか「未必の故意」というコトバを思いだしました。 合掌 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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