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ずっーと昔から考えていて、周りの友人には言ってたんだけど、この事件で、
「やはりそうなのか」という感をつよくした。 一部では、言われてきた事だけど新しいお母さん、つまり若いお母さんは、しらないようだ。 同志社生だった彼のお母さんも、超超教育ママであったらしい。 例のサカキバラ事件のサカキバラ君のお母さんもものすごい教育ままであったときいた。 しかし、教育ママが問題なのではなくて教育ママになることによって見えなくなるものが問題なのである。 見えなくなるもので、一番大事な物は、父親の存在である。 本来、存在している筈の父親を無視する母親が、長い時間をかけて子供の脳にまで問題をおこす。 これは、脳の研究をする医者の学説を読んだので、間違いない。 まあ、簡単にいうと、父親を超えようとする思いが前頭葉の発達には欠かせないのであるらしい。 そこまで書くと、父親の無い子は? とかいう人が必ずいるけれど、最初から居なかったり死んじゃったのは、全然問題ない! 居るのに、あたかも居ないかのごとく存在を軽視する母親の態度が問題なのだ。 特に、父親よりも子供を優位に、つまり優秀であるとか大事とか露骨にあらわすのは、要注意!!! 先日、何百という塾を経営する女社長が『問題のある子の家庭の100%が、母親が父権を無視している』と言ったが、 その場の一人の賛同を得ただけで無視されてしまった。 このことを若い母親に早く知ってもらわないと、第2第3のサカキバラ君や萩ティーはどんどん現われて来ると思う。 この世に、『怖い物は無いと思って育つ子供ほど怖い物はない』と、親はこころより思うべし。 ただ、京都の青年の父親は大変、心優しいひとだったみたいで、なんとか問題をおこしてからは、コミュニケーションをとろうと努力していたみたいだけど 遅きに失したみたいです。本当に残念だと思います。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
Dec 17, 2005 12:33:30 AM
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