|
カテゴリ:神我顕現
ご無沙汰しています。いつも不定期更新で申し訳ありません
しずくは今、上江洲先生の元で学びをさせていただいています。 上江洲先生の光話会は、ここ最近参加される方が急増しています。 知花先生の「学びの会」も同じ現象が起きているそうです。 今まさに、「真の我」に「本当の自分」に気づく、覚醒しようとする方々が その時期が来たと感じられる方々の大いなる目覚めが始まったんだなと思います。 この時期をしずくはどんなに待ちわびたことか・・・ 本当に嬉しいです これからも同じ志を持った方々と共に、学んでいきたいと思います。 今日は「聖書」について書いていきたい思います。 しずくはクリスチャンではないので、今まで聖書を読んだことがありませんでした。 また、興味もありませんでした。 数年前に自宅のポストになぜか「聖書」が投函されていました。 いつもなら、そのままごみ箱行きなのですが、なぜか心にひっかかるものがありました。 「この聖書はいずれ必要になる」という直感が入り、捨てるのをやめました。 その聖書が今は私の愛読書になっています 知花先生や上江洲先生のお話で聖書のことをふれてくれることがあり、 「聖書」は「真理」「神理」の本なのだと初めて気づかされました。 聖書は書いてあることだけを読むのとその書かれてあるお話の奥を読むのとでは その意味が全然違ってくるのです 聖書は確かに多くの改ざんされたものが含まれています。 それでもイエスさまが神我から語られた「たとえ話」なので真理(神理)なのです 「なぜ、たとえ話で話されたのか」 イエスさまの言われた「父なる神」こそが実相であり実在そのものなのです。 それは無形無双での存在であり、無形無双とは 形もなく、色もなく、臭いもないし、触ることも見ることもできない。 あるのは無限なる空のみ・・・ だから「たとえ」という形でしか表現できない。 仏陀の悟られた「空」も同じ同一のものです。 これから、しずくが理解できた範囲内で聖書の内容を書いていきたいと思います。 全ては大生命に満ちあふれているなり・・・ 我も大生命なり・・・ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2018年05月06日 11時24分34秒
コメント(0) | コメントを書く
[神我顕現] カテゴリの最新記事
|