学生時代のアルバイト
この記事は、ジョブデパ協賛のブログ記事コンテストにエントリー中です。あなたの探している希望の仕事がきっと見つかるジョブデパシェアブログjobdepaに投稿浪人時代から学生時代、金がなく時間ばかりがあまっていた。で、ボクはありとあらゆるアルバイトをした。浪人時代、金がないからよく歩いた。桜台の下宿先から友達が住んでいる中井のアパートまで歩いた。途中、パン屋でパンの耳をもらって仲間と食べた。パンの耳は犬にあげる、ということになっていた。その頃、初めてやったバイトが、高田馬場駅近くにできたビルのテナントの売り子だった。工具とか雑貨とかわけのわからないものを、タイムサービスと称して売りまくった。喉が涸れて足が痛くなったけど、意外と面白かった。人材派遣に登録して、デパート地下食品街の売り子もよくやった。パンの値段がよくわからず、ボクは適当な値段で売っていた。安く買おうとして、ボク目当てに来ているおばちゃんもいた。大学に入ってすぐにビラ配りをした。下北沢の駅前で同じビラを配っている高校時代の同級生に会ってしまった。それは、いかがわしい印鑑のマルチ商法だったので、すぐにやめた。大学ではサークルの先輩から、バイトの話が多数まいこんでくる。テキヤの金魚釣り、新築マンションのビラ配り、競輪場の現金運送、ラジオ番組のAD(雑用係)……。なかでも新築分譲マンション抽選会のための「並び」バイトは、一番割がよかった。2日間、順番待ちで並んでいるだけで3万円ももらった。いろいろやったバイトのなかで、本当にやってよかったと思ったのは、ちり紙交換だった。スポーツ新聞の「ちり紙1日1万5千上」という3行広告を見て、これだと思った。暑い夏の日の朝、ボクはちり紙交換の会社を訪れた。ビリヤードのキューをいじりながら、ちり紙交換の社長が言った。「あんた、セイガク(学生)さんかい。悪いこたー言わねーから、やめときな」それでもボクはどうしてもやらせてくださいと頼んだ。車の運転がしたかったのだ。免許は取ったが運転する車がなかった。ボクは田園調布から成城、用賀にかけての住宅街を、「ご不要になった新聞、古雑誌はありませんか?」というおなじみのセリフを大音量で鳴らしながら、小さな白いトラックで疾走した。たまに、家から人が出てくるとトラックを止め、古新聞をトイレットペーパーやテッシュと交換する。クーラーもないトラックを転がしながら、それこそ汗水たらして働いた。1日中仕事をして、会社に戻る。交換した古新聞の量は、大きな体重計のような機械でトラックごと重さを量り、そこから、車の使用料、ガソリン代、交換用トイレットペーパー代を差し引かれ、520円のバイト代となった。会社まで行く交通費を差し引くと、ほとんど儲けはなかった。でも、今まで金のためだけにバイトをしてきたボクは、「嗚呼、社会のために役に立っているんだなー」と初めて充実感を味わった。その時だけは、社会貢献できているんだと実感できた。以来、ちり紙交換のバイトはしていない。