英雄たちの決断「英雄か怨霊か? 保元の乱の敗者・崇徳上皇の涙」
今回のお題は崇徳上皇。保元の乱で敗れた後、讃岐に流され怨霊になり、天皇家に呪いをかけたと言われている崇徳上皇が保元の乱を引き起こした動機に迫るという内容。 崇徳上皇は白河法皇の意向で天皇に即位したものの、父の鳥羽上皇からは疎まれていたけど、その理由が崇徳が白河法皇と待賢門院との不義の子と噂されたので鳥羽上皇からは「叔父子」と言われてたほど疎まれていた。 鳥羽法皇の崇徳天皇いじめは相当なもので20代で父に譲位を迫られ、法皇は寵愛していた美福門院得子の子・躰仁親王を天皇につけ(近衛天皇)たのだがその時崇徳上皇は鳥羽法王に騙され、近衛天皇は崇徳天皇の皇太子とするはずだったが、その約束を反故にされて皇太弟としたため、院政をすることができず、政治の場から遠ざけられてしまった、近衛天皇が17で崩御すると崇徳上皇に院政を行えるチャンスが・・・しかし「近衛天皇が早死にしたのは崇徳上皇が呪詛をかけたからだ」と鳥羽法皇に告げ口した人がいたのだが、告げ口したのが近衛天皇の生母・得子だった・・ってのは取り上げられず。・その告げ口のせいで息子の重仁ではなく、同母弟の雅仁親王(後白河天皇)が即位し、全く無視されてしまうってかわいそう。TV中では説明されていないけど後に源氏と平氏を巧みに操り、頼朝に「日本国第一の大天狗」と言われた後白河天皇だが、天皇に即位する前は今様(現代流行歌のようなもの)を好み「天皇の器ではない」と父からは期待されていなかった。・院政って一種の独裁政治であるため欠陥があること(上皇(法皇)のお眼鏡に適った人はどんどん出世させる、命令書の「院宣」の発言力が強いなど)、天皇が上皇になると隠居代的に荘園をもらえる・・・ってのは知らなかったので初耳なネタ。・保元の乱で負け、讃岐に流された崇徳上皇。流罪先で五部大乗経(『法華経』・『華厳経』・『涅槃経』・『大集経』・『大品般若経』)の写本作りに専念して戦死者の供養と反省の証にと、完成した五つの写本を京の寺に収めてほしいと朝廷に差し出したところ、後白河は「呪いがかかってそうでヤダ」と疑ってこれを拒否し、写本を送り返してきた。これに激しく怒った崇徳院は、舌を噛み切って写本に「日本国の大魔縁となり、皇を取って民とし民を皇となさん(日本国最大の怨霊となり、天皇はを平民に、平民は天皇に据えてやる)」「この経を魔道に回向(えこう)す(このお経の力を悪のために使ってやる)」と血で書き込み、爪や髪を伸ばし続け夜叉のような姿になり、後に生きながら天狗になったとされている。崩御するまで爪や髪は伸ばしたままであった。また崩御後、崇徳の棺から蓋を閉めてるのにも関わらず血が溢れてきたと言う。父や弟(+周囲の者)にコケにされ続けたら怨霊になってもおかしくないよなぁ