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カテゴリ:江戸・東京の話
水仙 現在でも神社に残されている江戸時代の絵馬で、一番多いのは病気快癒の祈願でしょう。 江戸時代の町民に対する医師の数は、10万人に86人で、かなり充実していた。 しかし中には偽医者や悪徳医者も居て、正当な医者でも診察代は高額だったので、一部の金持ち以外は病気になっても医者にはかかれず、多くの貧しい庶民は、神仏に頼り、絵馬に祈願するよりなかったのだ。 日本人の薬好きは江戸時代からで、外国からの医薬品の輸入が急増したのも江戸時代だった。 しかし現在同様、当時も薬用人参の国産化など素早く成功させたのも、日本人特有の賢さで、薬草研究も隆盛し、薬の普及は目覚ましかった。 家康の孫である家光が病気になった折、家康自ら調合した薬で治療に成功したほど、家康は健康オタクだった。 薬用人参は、人参飲んで首くくると言われるほど高価であり、その他の薬も高額で、一般庶民には手が出なかった。 それに比べて、ドクダミをはじめとする民間薬は誰でも入手可能であり、危険も少なかったので、人々はそれに頼った。センブリなどは現在でも愛用する人が多いが、当時はハコベやシソ、カヤノミ、シャクヤクなどにも効果を見出していた。 江戸の庶民の平均的死亡年齢は50歳で、人生五十年という決まり文句があった。 身分制度を打破して出世する方法は、医者や学者(友人の外科医は医者、学者、芸者と言うが)になるしかなく、人気のある医者になれば大名並の収入が得られたため、医者の志願者は多かった。 医学は、学問とは無縁の技術者とされ、学者よりは身分は低かったが、将軍や側室でも患者であれば、その身体に触れ、脈を取ったので、待遇は良かった。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2010.04.04 16:25:05
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