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2010.04.09
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カテゴリ:詩・歌・小説
  さくら2

イエスかノーかのどちらかで返事をしないと、日本人は優柔不断だと決め付けられてしまう。
しかし人間にはイエスかノーかの二つだけでは表現しれきない複雑な心の動きがある。
単に自分の判断だけで返事が出来る場合は簡単でも、日本人の心には他人への思いやり、あるいは自然あっての人間という思いがある。
それゆえ、簡単にイエスとかノーとか言えない場合があるのだ。
そういう微妙さを欧米人は理解できないから、微妙な心の動きを気遣うことなく、相手が傷ついても関係なく、イエスかノーか、はっきり言えよと迫る。
日本人はその中間で揺れ動く心を大切にしているのだ。
欧米人が二つの選択肢で簡単に意思表示するのは、キリスト教の影響を受けた西洋論理学の、排中律という思考原理に支配されているからだ。
この原理は、同一主語については、同一客語を肯定するか否定するか、どちらか一つでなければならない、その中間に立つことは許されない。
中途半端は彼らにとっては正義ではないのだ。
それは言語、文化、芸術、生活などあらゆる面に影響を及ぼしている。
彼らは日本人が、「行間を読め」とか、「以心伝心」、「目は口ほどにものを言い」、「不立文字」、「心の最も深いところは、言葉や文字では表せない」、「察する」、「悟る」などと言うことを信じられない。
欧米人は、明確な言葉によって言い表さなければならない。
日本人の微妙さ、奥ゆかしさなどは不正確であるとされ、信用されないのだ。
しかし最近の日本人は、日本人の心を失くした人間が増殖しているようにも思う。


  





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最終更新日  2010.04.10 14:03:12
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