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カテゴリ:心理学と神秘学
カロライナジャスミン エジプトで過酷な迫害を受けていた人々は、モーゼに連れられてエジプトを脱出し、食料も水も無いシナイ半島の砂漠の中で、神とされるヤハヴェにこう命じられた。 「私はお前たちの神であり、主であって、お前たちをエジプトの奴隷の身から救い出したもである。お前たちはこれから先、私以外を神としてはならない」 砂漠の極限状態の中で、他の総てを否定する強烈な神、あるいは悪魔に命じられ、それと契約を結んだ。 それは神々と共存するものではなく、他を拒否する神で、これは他の神々や、一切の自然物とは本質的に異うことを、自ら宣言した。それは宇宙人か、または悪魔もしれない。 「お前たちは、いかなる像も造ってはならない、上には天にあり、下には地にあり、地の下の水にある、いかなるものの形も作ってはならない、それらにひれ伏したり、仕えたりしてはならない、私が主だ、私が神だ、私は情熱の神である」 その神とは、人間の能力とは無限に異なる、自然と神との本質的な異いが強調される。 主はヤハヴェと名乗ったその神ただ一人でなければならず、自然物、太陽や山や海や動物、樹木など何一つ崇拝してはならないのだ。 その神は厳しく、みだりに神の名を口にするな、口にしたら罰するぞと脅し、人を裁き、罰する神であり、仏教の仏とは真反対である。 仏教では人が、あるいは仏が人を罰することはない。 自分の行いは必ず自分に返って来る、自業自得だからだ。 神の名を唱えることが罰せられる原因となることで、キリスト教徒には常に緊張感が要求され、正しいものを一つだけ選ばなければならないという、択一性を至上とする理由はここにあった。 ヤハヴェは、厳しい唯一神であり、自然や人間とは連続しない全知全能とされ、強力な支配者であると信じられてきた。 仏教でいう「縁」によって出会った神ではなく、過酷な逃げ場のない状況で、この強力なヤハヴェと契約を結んだわけで、縁のように人間の意志によるものではなかった。 この契約の意識が、キリスト教圏の人々の意識の基盤になっている。 江戸時代に日本で行われていた踏み絵は、その契約の意識を逆手にとったものかもしれない。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2010.04.26 08:09:40
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