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カテゴリ:神社仏閣
本願寺は、西本願寺と東本願寺があるのはご存知の通りですが、どうして西と東があるのでしょう。 東西ともに公称末寺一万、門徒一千万人、合わせて二千万人になり、日本人の2割近くが、東西どちらかの門徒であることになります。 両寺院とも親鸞聖人を開祖とする浄土真宗で、元々一つの巨大な寺院だったのですが、あまりにも勢力が拡大し過ぎたので、1602年、徳川家康は幕府にとって脅威になると考え、東西に分断することにしたのでした。 そのため両寺院は、経典や重要な儀式の作法などの基本的なことは同じですが、4世紀の時を隔てた今、細かいところには相違が出てくるのも当たり前です。 大きな違いは建物の配置で、東本願寺は正面左が本堂、右に太子堂がありますが、西本願寺は右が本堂で、左は太子堂ではなく、御影堂と呼んでいます。また、柱の断面が、東は円で西は四角です。 歴史的には、西本願寺は幕末に薩長倒幕派の味方をし、東本願寺は新撰組の屯所になるなど、幕府を守る立場にありました。 用語なども東西に違いがあり、東では法王、西では門主と呼び方が違います。東の内局は、西では総局、東の宗議会は、西では宗会等々。 京都の人々は、東と西では境内に居る鳩までが、所属するグループが違うなどと冗談を言っているそうです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2010.05.23 08:19:52
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