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テーマ:決断(7)
カテゴリ:考え方のものさし
感性のままに生きるか、慣性のままに生きるか、それが問題だ。 慣性とは、習慣性を主体に昨日と同じように今日も明日もさもルーティンがごとく同じように生活する。新しく変えたりすることに抵抗を覚える。なぜなら昨日と同じなら考えずに済むし、なにより楽である。感性の赴くままであると柔軟性が必要であるし、一貫性が無くなり不安が伴う場面が起こることもあるわけです。 インターネット接続をプロバイヤー契約でずーっとやってきた。web環境の自由化が叫ばれ最近は低価格で利用できる便利なwifiも出現し始めた。その内容を説明を聞きそれは経費がだいぶ節約できると頭ではわかっても、なぜかゴーサインが出せない慣性の枠からはみ出ることに対しての不安が過ぎるのである。 別の言い方をすれば、判断を下す己への自信が持てないのでいるわけです。感性のままに生きるには、自分を信じることができる、信頼を寄せるもう一人の自分とのハーモニーも良好で在らねばならないのです。感性のままに生きるには一歩踏み出す勇気も必要なのです。バンジージャンプだって自分から踏み出すことができないとずっと怖い不安定な状況が変わらないわけです。 慣れない環境に身を置くことは居心地が良いとは言えない。慣れるには反復してその場に慣れることに努力が必要だ。場づくり、居場所をつくる。反復することで場に慣れる。反復することで居場所ができる。 決断の対義語•反対語は優柔不断だと思ったが調べてみたら、躊躇、逡巡とあった。 優柔不断は、ぐずぐずして決断力に乏しいこと。躊躇、逡巡と似たようなものだ。 決断ができないのは確信が持てない、自信がないなどであろう。 決断は、その人の意識がどうありたいかを選ぶ、その人自身の習慣性によるところが大きい。だから先送り癖を発揮する人(決断できない人)と決断から一歩先に進むその差は数を重ねると大きな差になるわけです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2020/12/30 09:44:02 PM
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