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カテゴリ:こころとは
手枷、足枷をかけられていると思っている。 考え方は、本来、自由自在なのだ。どう思おうと自由なのだ。 詩吟の審査で身体が震えて青い顔をしている人がある。 緊張の極みなのだ。今の心境はと聞けば緊張していると答えるだろう。 緊張を止めて、親から100万円貰える場だと思えればルンルン気分になれるのに。 悲しいかな!その場の空気感に圧倒されてしまうのだ。 過去の経験の反復の成せる技が緊張という自己選択をしているわけです。 繰り返して云う。本来どう思おうが自由なのだ。 こどもは総理大臣が目の前に来ても、緊張しないだろう。 知らないおっちゃんが目に前にいるだけだ。 だが分別が備わった大人になると、 テレビで見た総理大臣が目の前に来て話しかけてきたら緊張するだろう。 なぁに、近所のおじさんだと思ったっていいのだ。 そうしたら緊張感も薄らぐだろう。 その人の子どもの顔を想像して想い浮かべたらいいと聞いた事がある。 そう思えたら緊張感も薄らぐだろう。 そうなんです。どう思ったていいのです。どう思っても自由なのです。 本来、人は自由に想い、自由に発想していいのです。 自由に伸び伸びとやりたいこと、なりたいものにチャレンジできるのです。 まず思わないと、その先に進みません。 初めに自由発想でいいのです。前に進めればだんだんとわかってきます。 やってみればわかります。 70ともなると、同年代、あの世に旅立ってしまったものも幾多といるのだ 遅かれ早かれ、必ず誰もが天に召されてしまうわけだから 多少たりとも未練を少なくするように、その日が来るまで楽しく生きようではないか。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2022/12/02 04:03:53 PM
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