リストカッター ☆万人を癒せるマホウの言葉☆
こんにちわ 堕パンダです。明日はなんか「3時から一つだけテスト」らしいので午前中やればいいじゃんと楽に考え、そんなことよりも「書きたいことがある」ので書いているんです。前もって言っておきますがこの話は長い。でもリストカットに興味がある方、リストカットされている方は、読んでいただきたい。はっきり言うが、私はリストカットをしたことがない。だから、している方は「は、わかったようなことを言って」と思ってもらってかまわない。あくまで小さな、私個人の意見です。私はリストカットをしたことがない。だけれど、しようと本気で悩んだことがある。無論、死ぬ為である。だけど止めた。まあ、その話は後日語るとして、私のリストカットの見解です。存分にやれこれです。これには理由があります。「人の心を、突き詰めれば宗教になる」これは正しいと思う。だから私の話は、「なんか宗教くさい」と友達に言われるのだが、人の心は弱いだから神とか、そういうものに頼るのである。だから私はその弱い心を悪用した「宗教詐欺」を軽蔑するのであるが。話を戻して、なんで 存分にやれなのかそもそも私は、人間に共通に、平等に与えられたものは二つしか無いと考えます。それは「タナトス」と「エロス」です。「タナトス」とはギリシャ神話に登場する「死の神」「エロス」とは「性の神、しいては生の神」である。人間に平等にあるのは 死と生これはだいたいの人に、わかってもらえると思う。人は生まれながらに、不平等だ。食べ物がなかったり、病気にかかったりですぐに死んでしまうものもいれば、とてつも無く健康で、120歳まで生きるものもいる。顔の形もさまざま顔の形も、整って生まれてくるものもいれば、中には奇形として生まれる者もいる。そんな中、世界中の人に平等に与えられているのは死と生これである。死、タナトスとは「自己破壊の衝動」生、エロスは、「生の連鎖」である。人間には自己破壊の衝動がある。人は細胞でできている。おそかれ速かれ、その細胞は、突然変異し癌となる。つまり遅かれ速かれ、人は癌で死ぬのだ。そうでなくても、細胞はだんだんと自己的に死んでいき、つまりは老化により死ぬ。それが自己破壊の衝動。逆に生とは、すなわちエロス「性欲」である人には性欲があり、それは自己破壊する死へのあらがいなのである。つまりは、子供をつくり「生の連鎖」を作り出すこと。それにより死へ抵抗しているのだ。自分が死んでも「この子が生きて未来につないでくれる」これが生である。生と死は相反するように感じられるがその真意は一つただ「快楽」という点で共通すると言われている。性欲は、快楽を得られる。死ぬ前にも脳内麻薬が出て快楽を得られるのだ。だから「快楽」という意味では 二つは一つであると言える。リストカットこれは明らかな「自己破壊の衝動」であり人間として非常に正しい先ほど快楽と言う点で「エロス」と「タナトス」は同じと述べた。つまりは、「オナニー」と「リストカット」の関係である。オナニーは性欲を満たす。「快楽を得られる」リストカットも自己破壊の本能を満たす「快楽を得られる」つまり「オナニー」と「リストカット」は同議なのであるオナニーをすることは認められてリストカットすることは蔑まれるこんなことはおかしい。両者とも、したいのなら存分にすべきである。タイトルに☆万人を癒せるマホウの言葉☆と書いたが、実はそんなマホウはどこにも存在しない。ただ一つ、自分一人を癒せるマホウの言葉これは存在する。すなわち、自分で気づくしかないのだ。今リストカットをしている人。その人は悩んでいると思う。なんでこんなことをしているのか。こんな、わけのわからない自傷行為、止めたい。そう思っている人はそれは人間にとって当然の行為だということを心に刻み、それにより自分がどうしたいのか自分がどうすべきなのかを 自分自身で答えを出すしかないただ一つ、なぜリストカットが何故、蔑まれるのかその理由は一つしかない人は「自分が傷つけられるのを恐れる」からだ。そのナイフで俺も切られるんじゃないかそんな思いでリストカットを皆蔑む。皆リストカットの真意を理解していないし精神に異常があるのではないかという気持ちからリストカットを蔑む。皆、貴方がリストカットするのは、本当はどうでもいいのだ。人は皆、他人に無関心だ口では言っていても四六時中、その人のことを考えていられるものなどいない。死ぬほど愛した人が死んだとしてその人のことを、忘れずに毎日考えている人が果たして何人いるだろうかいづれは薄れていく。その思いも、記憶も人はそういう風にして精神を守るからだ。ずっといなくなった人のことを考えれば精神に支障をきたす。だから結局のところ人の思考の中で自分が一番優先される。それは本能であり、どうしようもないこと生き残る上で自分のことを優先するのは当然であり仕方のないこと。だから貴方が他人は皆、私のことをわかってくれないと思っても、それは仕方の無いことなのだ。だから気づくしかない貴方自身がどうするべきなのか自分自身の命が無価値だと思うのなら自分で価値をつけてしまえばいい。例えばの話だが、これは 私も行っている臓器提供意思表示カードを持つこれであるあまり知られていないが、このカードは、コンビニとかあるいは献血センターとかでタダでもらえる。このカードが持つ意味とは自分が死んだ後に角膜や肝臓等を提供する意思があるということをあらわすあまり知られていないし、言い方が悪いが人一人が死ねば、七人以上の生きたいと思っている人が助かる。つまりこのカードを持つことで私の命は7人分の価値があるといえるのだだからといって 死んでしまえと言っているのではない。今、日本は非常に死ぬ確立が低い。だから人は 生きたいと強く思うことはなくただ、のほほんと 生きている。だから、こんな自分等死んでしまえと思うのは、あたりまえだし人間として非常に優れている感情だ。殺される確立は0,00008%とか どこかの本で見た。たしか、宝くじが一等当たる確立よりも高い。それに今死ななくても、いづれ病気か何かで死ぬのだから無理に今死ななくてもいい。それに死んだとしても カードを持っていれば7人助かるのだから「私がもし死んだとしても、7人の人が助かる」と思うことだ。それならば 無価値ではない人一人の価値は無価値ではなくなる。それに「病気でいずれ死ぬのだから 精一杯生きよう」と思うことだ。そうすれば、夢を持ち、それを追いかけることもできる。自信をもてばいい人は皆、今のところ結局は200年も生きずに死んでいく。歴史上に名を残す者も「多数の人がすごいと思った」だけの人であり、結局は死んでいく。その歴史も人類が滅びたり、地球が太陽に飲まれたり宇宙が無くなったりすればそんなものは 無価値になる。この世に真に意味のあるものなどない。あるのは虚無と、それに伴う悲しみだけだだから笑えばいい。この世の中が、悲しみで満ちているのならあなたは笑えばいい。それであなたは癒される真に笑うことができればそれによる悲しみも 皆吹き飛ばすことができるだろう。あなたが笑えば皆も笑う。どんなに悲しみに、うちのめされてもあなたが笑えば、それは広がるしいていうならば笑いそれが幸せのマホウだ。