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テーマ:今も心に残っている歌(675)
カテゴリ:追悼
また一人、昭和を代表する方が、星になりました
作詞家、阿久悠さん。享年70歳。 私は、タレントスカウト番組「スター誕生」(スタ誕)を見て育ちました 日曜日の朝、司会の萩本欽一さんのほか、作曲家の都倉俊一さん、岩崎宏美さんの歌の師匠、松田トシさんなどと一緒に、阿久さんの姿が審査員席にありました。 普通の中高生が応募葉書を出し、予選大会に臨みます。4小節歌った所で、テレビ出演の可否が決まり、合格者は番組で歌います。基準点以上だと、晴れてチャンピオン大会に進出です エンディングでは、欽ちゃんが、合格者や会場の人達と「バンザーイ!!」で締めくくっていたのですが、誰も合格しなかった回では、「バンザーイ、なしよ。」と慰めていました。 チャンピオン大会では、明日のスターを探しに来た、レコード会社や芸能プロのスカウト達に審査されます。 「この原石を磨き上げ、世に送り出したい」と思うスカウトマンは、欽ちゃんの掛け声と、「一生懸命頑張りました。よろしくお願いします」の緊張で震える声を合図に、社名を書いたプラカードを高く掲げて、意思表示をします スカウトマンの人気が集まった人は争奪戦になり、話し合いの元、所属先が決まり、数ヶ月のレッスン期間の後、晴れてデビューを飾ります。 人気ナンバーワンは、桜田淳子さん。地元・秋田での地区予選の時から輝いていたそうです。 新人歌手は、芸名を大きく書いた看板で紹介され、番組内でデビュー曲を披露し、スターへの階段を昇り始める、というわけです スタ誕は、アイドルの宝庫でした。 ざっと思いつくだけでも、森昌子、桜田淳子、山口百恵、岩崎宏美、中森明菜、小泉今日子、榊原郁恵、片平なぎさ、石野真子、ピンクレディ、渋谷哲平、新沼謙治に藤正樹(アイドルか?)城みちる、伊藤咲子、柏原よしえ、松本明子etc. コントコーナーに、西山君や、クロベエなど(敬称略) 決勝大会で嬉し泣きしていた中学生が、しばらくすると新人歌手として出てきて、だんだん人気者になっていく・・・その過程には、まるでクラスメートがデビューするような親近感がありました 阿久悠さんは、そんなスタ誕出身の新人を、デビュー前から温かく見守り、曲を作り、応援し続けていたそうです。一世を風靡し、時代の寵児となったピンクレディの絶頂期にも、会えば「(ちゃんと)食べてるか?寝てるか?」と、控え目に声をかけていたそうです。 50代の今も現役で活躍中のピンクレディは静岡の高校で同級生だったそうです デビュー曲の「ペッパー警部」を、奇抜な振り付きで、歌い踊る姿を初めて見た時、「なんじゃ、こりゃ?」と思いましたが、阿久・都倉コンビの手がけた曲は、 土居甫(どい はじめ)さんの振り付けと相乗効果で、子供達に大人気となり、次から次へとヒットしました。 エルトン・ジョン&バーニー・トーピンのコンビとは逆に、まず曲が先にでき、阿久さんは、デモテープを聞き、浮かんだ歌詞を書いたそうです 都倉さんによると、時代の空気を読み、日常的なさりげない言葉で、その時代の飢餓感を満たすことのできる人だったそうです。意外にも、音楽は得意ではなかったとか。 山口百恵さんの仕掛け人で名プロデューサーの酒井政利さん曰く、彼には、少年とチョイ悪オヤジの面もあり、頭の中におもちゃ箱を持っていて、それをかき回して取り出すのを楽しんでいたとのこと ピンクレディには、大人も子供も楽しめる歌、八代亜紀には日本人の魂をつかむ歌、それまで元気いっぱいのイメージだった都はるみには、しっとりとした歌・・・ 作詞家生活40年の間に、5000曲作ったという詞の世界は、とても広範囲で、奥が深く、一曲一曲にドラマがあり、心に届きます '90年代、シャカシャカサウンドの歌詞が、耳を素通りし、心に残っていないのは、当時、その頂点にいた人が語ったように「コンピューターが勝手に作ってくれる」曲だったからかな、と思います。伝えたい思いをメロディに乗せて聴き手に届けるのが歌なのではないでしょうか? 東京での学生時代、場末の名画座で、たくさん映画を見たことも、阿久悠ワールドを広げる一助となったと、自伝にありました。 新曲として彼の詞を与えられた歌手たちは、毎回、どんなドラマを歌うのだろうと、わくわくしたそうです。 岩崎宏美さんは「格好いい!!」ピンクレディは「SFみたいで面白い」「舟歌」を貰った八代亜紀さんは「出だしの2行だけで、これはいける♪」と思ったそうです。 淡路島に生まれ、高校野球や阪神タイガースを愛する彼が書いた小説「瀬戸内少年野球団」は、夏目雅子さんと郷ひろみさんの共演で映画化されました。 同じ瀬戸内地方に育った私にとっては、穏やかでキラキラした、懐かしい海の空気が感じられ、元気の出る作品でした 「あくゆう」と打つと、「悪友」と変換されますが、ペンネームは「悪友」から来ているそうなので、問題はないかもしれません。 ご冥福をお祈りするとともに、言葉を紡いで、心に残るたくさんの歌で昭和を彩り、私達を楽しませて下さったことに、心から感謝いたします 詞を書くのが大好きで、依頼がなくても最期まで書き続けていたということなので、近い将来、書きためた作品の中から、新たなヒットソングが生まれるかもしれません 阿久悠 トリビュートソングス   歌 詞   目からウロコ? 舟 歌 津軽海峡冬景色 宇宙戦艦ヤマト   学園天国 居酒屋 北の宿から 夏にご用心 また逢う日まで もしピア 勝手にしやがれ レコード大賞 ロマンス 林檎殺人事件 せんせい お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2008年08月05日 08時17分58秒
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