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テーマ:今日のBGMは・・・?(676)
カテゴリ:ノリノリ系
新学期が始まりました。新しい教科書をもらうたびにワクワクしていた方も多いのではないでしょうか?まずチェックした科目は何でしたか
私は小学生の頃は国語と音楽、中学以降はそれに英語が加わりました。まだ硬いページを開いて、興味深い文章や曲に出会うのが楽しかったです 平成生まれの子供達の教科書は、社会科のイラストにドラえもんやアトムが登場し、国語ではサザエさん一家を例にとった文章や、脳トレの川島教授による脳の解説、俵万智さんのエッセー、(「走れメロス」と「少年の日の思い出」は健在)、音楽では、なんとDeep Purpleの Smoke on the water がロック部門代表で鑑賞曲になっとるぞなもし~ストーンズの写真も見かけましたよ 英語では、ハンバーガーショップでの注文の仕方や、Eメールの書き方、道案内、日本にホームステイする外国人への注意事項、好きな映画を語る(E.T登場 )グリーティングカード、世界の漫画文化etc. 21世紀の中学生って、国際人 '70年代の中学時代、英語の教科書(たぶんCrown)には、Harryという名の、どでかいコンピューターのイラストが載っていました。今思うと、2001年宇宙の旅のHALのパクリだったのかも あの時代の人が、DSやi podやおサイフ携帯を見たら、どんな反応を示すのでしょうか? 高校英語になると、ビートルズやジョン、ダイアナ妃、マザーテレサ、スピルバーグあたりは教科書の常連さんですね。お子さんの教科書をこそっとチェックして、「こんなん載ってます~」とか、「昔、こんなん習いました~」「このお話(詩、曲)が好きでした」ネタを教えて下さいね。 新学期で気になるのは、やっぱり担任の先生と新しいクラス、そして席替えでしょう。好きな男子(女子)がどの席になるのかに一喜一憂してた人はカミングアウトして下さいね今日はそんな席替えの歌、フィンガー5の 学園天国 です。 この曲は、小泉今日子さんもカバーし、男子高校生がシンクロナイズドスイミングに挑む映画ウォーターボーイズでも使われていました。 フィンガー5 こと、玉元さんちの4男1女(他に姉1人もいます)は、沖縄がアメリカの統治下にあり、車は右側通行、通貨はドルだった時代、米軍基地の町・具志川に次々と誕生しました。長男の一夫兄ちゃんは、さんまさんや郷ひろみさん、ビリー隊長と同じ'55年生まれ。家業が米兵相手のバーだったため、アメリカ音楽の中で育ちました。百恵ちゃんやマドンナ、マイケル・ジャクソンとタメの三男 正男 くんは、天性のリズム感の持ち主。なんと3歳で那覇のツイスト大会で優勝し、5歳でプロのバンドマンにベースの手ほどきを受けたそうです。音楽に合わせてゴキゲンなステップを踏む、人なつっこい彼は、お店のアイドルだったとか 聖子ちゃんやとんねるず、中井貴一さんとタメの四男 晃 くんも、お兄ちゃんと同じく3歳でゴーゴー大会のチャンピオンに アメリカのテレビ番組 パートリッジファミリー の影響を受け、上の3人は、 オールブラザーズ という名の小学生バンドを始めます。 ※ 二枚目のアルバムで、末っ子の妙子ちゃん(トム・クルーズや藤井フミヤさんとタメ)が、パートリッジファミリーの I think I love you(悲しき初恋)の日本語ヴァージョンを歌ってます。 '68年、地元のテレビ局主催の音楽コンテストに優勝すると、スタッフから東京行きを薦められ、翌年、一家はパスポートを手に、珊瑚礁の海を渡ります 小学校低学年だった晃くんと妙子ちゃんも加わり、5人組として都内の米軍キャンプ回りで実力を付けます。アメリカンポップスが中心のステージは好評だったようですが、レコード会社に売り込んでもさっぱり相手にされず、'72年、荷物をまとめて沖縄に帰ろうとした矢先、運命の女神様が兄妹に微笑むのです キャロル を世に送り出した敏腕ディレクターが彼等の才能を見抜き、'73年、 遂に悲願のメジャーデビューを果たします。ドカベン の作者 水島新司 さんのイラストがジャケットとなった 個人授業 をレコード屋で見かけた時の驚きを、今も覚えています。3年後、ピンクレディのヒット請負人となる、阿久悠・都倉俊一コンビが作り、土居甫 氏が振り付けをしたこの曲は、瞬く間にナンバーワンとなりました。 二枚目の 恋のダイヤル6700 も大ヒット。全国的に、電話番号が6700番の家では、受話器を取ったとたん、見ず知らずのお調子者に「ハロー、ダーリン」と呼びかけられ、もぉぉぉ~、プンプン!!だったようです 勉強する気もしない気も、クラスのマドンナの隣の席に座れるかどうかにかかっているという、 当時、妹がお年玉でゲットしたファーストアルバムを聴いて、私はぶっ飛びました。トンボ眼鏡の晃くんの歌唱力と、5人のリズム感はハンパじゃなかったし、 歌謡曲の匂いがしない選曲も新鮮でした。レコードの向こう側で、ノリノリでスイングしている兄妹の姿が目に浮かぶようでした。その殆どがアメリカンポップスの日本語カバーで、 ジャクソン5 の曲がメインでした。ジャケットクリックで聴いてみて下さいね 五人は同世代の小中学生を中心に大人気となりましたが、沖縄で海洋博が開かれた'75年、ハードスケジュールに疲弊し、音楽の方向性に疑問を持った彼等は、休養と充電のため、渡米。ジョンが主夫生活に入ったその当時、私はQueenやユーミンを聴いていました。半年のブランクや、メンバーのやりたい音楽とファンの求める音楽とのギャップもあり、帰国後は鳴かず飛ばず。'78年に解散しましたが、今月47歳になる晃くんは、現在もライブ活動を続けているようです。 デビュー当時お手本にしていたジャクソン5は、父親がすべてを仕切っていたのに対し、フィンガー5の場合、親は口出しをせず、一夫兄ちゃんが、レコード会社回りに始まり、仕事の交渉、スケジュール管理まで一切引き受けていたそうです。若いのに体を張って頑張ってたんですね。長年のプレッシャーはハンパじゃなかったことでしょう。お兄ちゃんがいなければ、フィンガー5の成功はなかったわけだから、お疲れさまと言いたいです。今でも兄妹仲が良いようで、何よりです。 仲良きことは美しき哉 by 武者小路実篤 おっと、かぼちゃやきゅうりの絵文字がないぞなもし~ 歌 詞 踊りも見てね アイドル 波浪打鈴 デビュー曲 カバー曲集 カバー曲 カバー曲 カ バ お ま け お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2009年01月03日 10時32分24秒
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