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カテゴリ:Paul McCartney
今日は、ポールの良きパートナーだったリンダ・マッカートニーの命日です。
1941年9月24日生まれの天秤座。ショービジネス担当弁護士の娘としてNYに生を受けたリンダは、'98年4月17日、乳癌のため、家族に見守られながら56歳の生涯を終えました。ポールは14歳の時、看護師の母親を同じ病気で亡くしています。17歳で交通事故で母を失った ジョン・レノン とは、心情的に通じるものがあったようです。 ちょうど10年前、新聞でリンダの訃報を知った時、その若すぎる死にショックを受け、ポールは大丈夫だろうか、これからどうするんだろうかと考えたことを思い出します。合掌 ポールが ジミ・ヘンドリックス や ミック・ジャガー など、ロックミュージシャン専門の写真家・リンダ・イーストマンに出会い、目と目で通じ合う、そういう仲になりたいと思ったのは、ビートルズ時代の'67年5月のこと。リンダはもともとポールのファンで、伝説のシェア(シェイ)スタジアムでのライブにも行ったそうなので、恋に落ちるのはあっという間でした ポールには ジェーン・アッシャー(ピーター・アッシャーの妹)という婚約者がいましたが、リンダと密会を重ねるうちに離れられなくなり、ジェーンとの長すぎた春にピリオドを打ちます。母のいないポールは、料理上手で動物好きな、リンダの母性に安らぎを感じたのでしょうか。でも、メンバー唯一の独身だった彼が、夫との離婚でもめている子連れの年上女性と不倫をしていることは、さすがに表沙汰にできず、おしどり夫婦のリンゴに、よく相談にのってもらっていたようです。 人気者はつらいよ 無事離婚手続きを終えたリンダは、'69年3月12日、6歳の長女・へザーを連れ、めでたくポールと挙式しました。同棲中だったリンダのお腹には、次女・メリーがいたそうです。ジョンとヨーコがジブラルタルで結婚式を挙げる8日前のお話。新米父さんは、メリーさんの羊 の歌詞に新しいメロディを付け、同じ名前の我が子にプレゼントしました。 リンダは、結婚後、家庭に入りましたが、'71年、夫に、 「バンドやるけん、母さん、キーボードとコーラスやって~な」 と言われます。 「ひょA~っ!うち、”ネコふんじゃった”と、サブちゃんの※ 函館の女 ぐらいしか弾けんぞなもし~。」 「ドン・マイ・ケル!レッとイッとBぞなもし~。”習うより慣れろ”言うじゃろ。はじめはエアーキーボードに口パクでもかまんけん、おらについといで~な。欽ちゃんバンドみたいに、ド~ンといってみようや」 「父さんはほんとにバンドが好きなんじゃね~。」 「生の空気は最高じゃ~。ポール伊豆ライブじゃけんね。 おらの歌でお客さんが喜んでくれるのを見るんが何より幸せなんよ。 母さんと一緒じゃったら、幸せも、二倍、二倍ね~」 「そんなに楽しいんじゃったら入ろうかねえ。じゃあ、ピアノ教えてんか。」 「おらも楽譜は読めんけど、キーボードはチューニングも要らんけん、気軽に楽しもうや。」(と、Let it be を弾き語る父さん。) ※ 「函館の女」は、指1本で黒鍵だけ順番に押さえれば、ほら弾けた♪ そして数年後、子育てもバンドもよく頑張ってるで賞のごほうびとして、母さんにプレゼントしたのがこの曲 …かどうかはわかりませんが、(ニューヨーカーのリンダが伊予弁を喋るはずないがね~)、父さんのバンド Wings のキーボード奏者として'81年の解散まで参加し、 '89年以降のワールドツアーにも加わっています。私は'93年のOff The Ground ツアーを東京ドームで見ました。 父さんの後ろで、でしゃばることなく淡々とキーボードを弾き、バックコーラスに務める、地味で堅実な印象の母さんは、サザンオールスターズで公私ともに桑田さんを支える、原坊こと 原 由子 さんと、イメージが重なりました。 小さい頃から動物好きだった母さんは、父さんや一男三女と一緒に、イギリスのムツゴロウ農場に暮らし、命の大切さを子供達に教える一方、ベジタリアンの第一人者としてもひっぱりだこでした。身体に優しい料理本はベストセラーとなり、私の街の図書館でも見かけました。 シンプルな生活を愛する母さんは、子供達を公立の学校に通わせ、普通の生活を送らせます。やがて、デザイナーとして自分のブランドを持つ三女のステラ は、学生時代、欲しい服を買うため、皿洗いのバイトをしたそうです。 家族仲が良く、子供達も孫を連れてよく帰省していたようですが、'95年、病に冒され、手術をします。一度は回復したものの、二年後に再発。ステラが有名ブランド クロエ のデザイナーとして、パリコレにデビューを飾る姿を、夫やリンゴ夫妻と見届けた半年後、療養先のアリゾナの農場で亡くなりました。いつも明るく前向きだった母さんは、余命の告知を受けず、亡くなる前日まで大好きな乗馬を楽しんでいたそうです '97年、超大物ロックスターの父さんは、長年の功績をたたえられ、「ナイト(サー)」の称号を与えられました。勘違い奥様なら、自分まで偉くなった気になって、ピノキオのように鼻た~かだかになり、セレブ御用達の高級ブティックにリムジンで乗りつけ、「ここからここまで全部ちょうだい。生活費は月1000万円は必要ね。」なんて、とんちんかんちん一休さんな台詞をのたまうところでしょう でも、われらが(?)リンダは器が違います。 「サーだろうがスーだろうが、父さんは父さんじゃが~。ミックも肉もじゃがーじゃが~。え?うちがレディ?(サーの夫人は「レディ」と呼ばれる特典が付いてくるらしいのさー。)んなこと言われても、リンダ、困っちゃ~う。だって、うちはうち。中味は変わらんぞなもし~。(レディ・マドンナぢゃないC~。)」と言ったとか。 ♪リンリンリリン リンリンリリンダ。実にナイスな肝っ玉母さんで、グ~ッ この、気負わない自然体と包容力といったら、 おまえ百まで、わしゃ九十九まで、共に白髪の生えるまで、ポールに添い遂げさせてあげたかったぞなもし。。。 元気だったら、 64歳 の誕生日も、リンダの手料理を囲んで、子供達や4人の孫達と、明るく穏やかに祝えただろうに 前回紹介したフィンガー5 が大ブレイクした'73年、このMy Love はリリースされ、6月に全米1位となりました。中学生だった私は、ラジオの深夜放送から流れてきた新曲の美しいメロディに耳を傾けたものです。リンダへの愛を歌ったこの名作は、WingsのアルバムRed Rose Speedway に収められています。 ありがとう、ポールとリンダ。い~い夫婦です 歌 詞 家庭人 メリー アルバート リンダ命 昔々 お楽しみ おまけ オーラス お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2009年04月18日 11時08分19秒
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