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テーマ:今日のBGMは・・・?(688)
カテゴリ:ユーミン
緑鮮やかな季節となりました。北海道では桜が咲き始めたようですね
こちらはつつじが満開です。ニュースでは、この大型連休中の、空港や駅や高速道路 の混み具合を教えてくれます。でも、そんなに休みも取れず、家族のスケジュールも合わず、 週休二日制が定着した所が多いせいか、最近は、飛び石連休 や 高速道路で思い出す曲といえば、ユーミンの 中央フリーウェイ。 '76年、荒井 由実 時代の卒業アルバムとなった 14番目の月 A面最後を飾る曲です。道路交通情報では 中央道 と呼ばれるハイウェイ。都心から40km離れたユーミンの実家に帰る道すがらの実況中継ソング、と言ったら変かな? 私は、今では学生の街となった 八王子 や、多摩美術大学 などの固有名詞をユーミンで覚えました。上京後、高尾山に行く途中、八王子を通り、東京とは言っても、かなり遠いことを実感しました。中学時代から六本木の会員制レストランに入り浸っていたユーミン。洗練された、都会の大人の世界を、頬杖をついて眺めていたせいか、精神的に早熟だったようですが、帰りは、めちゃ混みの中央線に揺られていたのでしょうか 中央自動車道 という、味も素っ気もない響きも、中央フリーウェイ と言い換えると、あら、不思議。おしゃれなユーミンワールドぞなもし 英語だとChuo Expresswayというそうですが、フリーウェイは無料の高速道路ってことだから、ニュアンスはちょっと違うかも ユーミンの実家は大きな呉服屋さん。季節感を大事にする、和の世界で育ち、 美大で日本画を専攻し、染色を学んだそうです。四季の移ろいと心象風景を重ね合わせた感性溢れる表現は、まさに職人技。明け方や夕暮れの光の織りなすグラデーションや、湿度や空気を歌った詞は、絵心に溢れています。 映画のワンシーンのようなこの曲からは、スピード感や流れる風景、空の色の変化や風が伝わってきます。でも、高速で片手運転は危ないぞなもし。 良い子は真似しないでね カーマニアの旦那さんは、自動車番組 の司会や、日本カーオブザイヤー の選考委員をしているようですが、ユーミンは、運転免許を持ってないそうです。 中央フリーウェイ 右に見える競馬場 左はビール工場 この道は まるで滑走路 夜空に続く いきなりバスガイドのような名所案内に、初めて聴いた時は「え?」と思いましたが、そう歌われると確認したくなるのが、ミーハー魂というもの。 中央道に乗った折、現場で右向いて左向いて指差し確認をしながら歌ったことのあるご同輩、かなりいらっしゃるのではないでしょうか でも、ビール片手に競馬新聞を読む、耳に赤鉛筆おじさんの絵が浮かんでこないのは、やっぱりユーミンブランドだから? 夜、まっすぐな暗い道を走っていると、この曲が頭をグルグルします。夜空に続く滑走路、なんだか飛べそうな気がしませんか? さてもう一曲、毎年五月になると聞きたくなる、大好きな歌をご紹介します。'79年のアルバム 悲しいほどお天気 より、緑の町に舞い降りて 花巻空港への着陸態勢に入った機内から見下ろす風景に感動したユーミンが、一気に書き上げたという曲です 東北新幹線の延長に伴い、廃止された路線です。運航会社は地方路線を担当していた 東亜国内航空。やがて日本エアシステムと名前を変え、当時、国内では幹線のみを担当していた JAL に吸収されました。 敬愛する宮沢賢治の出身地ということで、ユーミンは昔から花巻や岩手に親近感を持っており、ご当地 盛岡のコンサートでは定番の曲だそうです。宇宙や星をテーマにした歌が多いのも、賢治の影響でしょう。 銀河の童話を読みかけて まどろみ 心は はばたく 先月、いわて花巻空港 がリニューアルした際、この曲が空港のイメージソングに選ばれ、歌詞のレリーフ除幕式に、ユーミンが訪れたそうです。盛岡でこの曲、聴いてみたいです。行ったことないけど。 輝く五月の草原を さざなみ はるか 渡ってゆく 飛行機の影と 雲の影 山すそ かけおりる 着陸間近のイヤホーンが お天気知らせる ささやき MORIOKA という その響きが ロシア語みたいだった 「盛岡」がロシア語(当時はソ連)に似ているかは、天国の米原万里さんに聞かなければわからないけど、思わず旅に出たくなる、そんな曲です では、皆さんは、この連休、どちらで過ごされますか?До свидания! 昨日、嬉しいニュースと悲しいニュースがありましたので、ジュークボックスに追加いたします。大泉 洋 ちゃん、ご結婚おめでとう 一昨年の12月8日 ジョン・レノン・スーパーライヴ で、私にとっては一期一会となってしまった 忌野 清志郎 さんの訃報に、とてもショックを受けています。初めて彼の音楽に出会ったのは'72年、RCサクセションの この曲 でした。35年後のあの日、日本武道館で、病み上がりの元気な第一声を聴けたことは幸せでした。 58歳だなんて、あまりにも早すぎます。 追悼日記は苦手なので、当時の記事の一部をご紹介します。 とてもまっすぐで、反逆精神と人間愛に溢れた、永遠のロック少年。 改めて、ジョンっぽいな、と思います。 Q: ライヴの抱負・意気込みを聞かせてください。 A: 僕にとって再生、復活の第一歩です。 Q: あなたの夢は? A: 世界平和。Love&Peace。愛と平和。 Q: 世界の子供達にメッセージを A: 夢を信じて生きてゆこう。信じることも才能だよっ! 清志郎さん、長い間お疲れ様でした。たくさんの愛をありがとう。 あっちのみんなと楽しくやってくれよ、ベイビー。 愛してまぁぁ~~~す。合掌 中央道 バイパス 高速道路 マイカー MORIOKA おめでとう ありがとう 追 悼 覚え書き1 覚え書き2 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2010年05月06日 15時02分12秒
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