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テーマ:今日のBGMは・・・?(687)
カテゴリ:しみじみ系
新学期に配られる教科書をパラパラめくるのが楽しみだった私。
ここ十数年は、子供の持ち帰った教科書に、「時代やのぉ~」だの、「へぇ~」だの「ほぉ~」だの言ってます。>へいへいほぉ~ ぢゃないよ 今年驚いたのは、中3国語(東京書籍)。 目次の次に、いきなり見開きで、中島みゆき さんの歌詞が、バーン! タイトルは、 背景のイラストは、空のように淡いブルー。砂漠の上に横たわる、ベージュ色をしたサザエ状の大きな巻き貝。ベンチのように伸びた細長い部分に腰掛け、空を眺める、後ろ姿の青い服。右下に作者の顔写真(モノクロ)とプロフィール。 中島みゆき 1952(昭和27)年、北海道出身。シンガーソングライター、小説家。 著書に「海嘯」「2/2」などがある。出典・アルバム「歌でしか言えない」 この曲は知りませんでしたが、息子によると、自分なりの解釈をプリントに書き、一人ずつ発表した模様です。多感な時期、みゆきさんが丁寧に紡いだ深い歌詞と向き合った中学生たちは、この曲を耳にするたび、教室の窓から見える景色や、クラスメートの姿を懐かしく思い出すことでしょう。それは、いくつもの山や谷を越えたあとかもしれないけれど。 久石 譲 さんの言葉を借りると、音楽は記憶のスイッチ だとか。 たしかに、 たった1~2小節で、あっという間にタイムスリップし、思い出の場面や懐かしい顔が蘇ることは、よくありますね。特に、子供時代や若い頃聞いた音楽って、 今も自分を支えてくれているなぁ…としみじみ感じる今日この頃です。 私の場合は、テレビの歌番組や、ラジオの深夜放送から流れていた、'70年代の音楽が、心の真ん中にあります。2年前の今日、たまたま始めたブログで、懐かしい曲や思い出話をつらつら綴ってきました。会ったことのないブログ仲間と、まるで昔からの友達のように、歌い手や曲に寄せる思いやエピソードを語り合うなんて、なんだか不思議ですね。1つの歌にも、人の数だけ思い出があるのはすごいことだな、と、いつも思っています。 みゆきさんの歌を初めて聴いたのもラジオでした。デビュー曲アザミ嬢のララバイ のもの悲しさや、世界歌謡祭グランプリ曲で二枚目のシングルとなった 時代 の、スケールの大きさに感動しました。 明星で見た受賞写真は、ロングヘアーにベルボトムジーンズの、色白で綺麗なお姉さん。MTVもビデオもない時代、耳から入った歌手の写真に後からお目にかかり、失礼ながら、びっくりする事も多かったので、美形のみゆきさんは、ちょっと意外でした。北海道出身で、本名は 美雪 さんとあり、名は体を表しているな、と感心したものです。 谷村新司さんのセイヤング「チャーミングなお客様いらっしゃいコーナー」のゲストで、初めて、みゆきさんの、元気はつらつなおしゃべりを聞き、「別人?」と思ったのは、もう30年以上前のお話。オールナイトニッポンのDJを始めた頃、私は深夜放送を卒業しかけていましたが、弟は、夜中に聞くだけでは物足りないのか、テープに録ってはゲラゲラ笑っていました。 現在は、テレビCM で、大きな犬にどたどたと引きずられる白無垢の花嫁姿を披露しています。何度目かのウエディングドレス姿の聖子ちゃんに、 「(お互い)照れますなぁ~」と、ひょうきんな笑顔を向けています。 BGMは時代。花婿さんがどんな人かはわかりません。 ソフトバンクのお父さん じゃないけど、まさか、あの大型犬? 二年前の春、百歳で亡くなった祖母の葬儀で、長い間会ってなかった親戚や、懐かしい人達と再会しました。それぞれに年を重ねたものの、昔の面影は残っており、祖母が元気だった頃の気持ちに戻りました。 90過ぎまで新聞を読み、ニュースやスポーツ番組を楽しんでいた祖母は、93歳の頃、家で転倒し、病院のベッドで寝たきりとなりました。入院以降、徐々に認知症が進んでいることを母から聞いてはいましたが、半年ぶりに再会した時のショックは忘れられません。 高校まで同居していた私の顔がわからず、目は合っても、記憶の引き出しはぴったり閉じたままでした。いつも背筋をぴんと伸ばしていた、気丈で洞察力のある祖母の姿はどこにも見受けられず、私は部屋の隅で涙しました。 天寿を全うしたこともあり、告別式の後は、思い出話に花が咲きました。 笑顔溢れる祖母の遺影用の写真は、80歳の時に自分で用意し、父に預けてあったそうです。 筆まめで、上京後はよく手紙をくれました。旧仮名遣いの上、まるで古文書のような草書体だったので、残念ながら半分ぐらいしか判読できませんでしたが、「たぶん励ましてくれてるんだろうな」と、想像力で補っていました。離れて住む従姉妹達も、皆、同じ経験をしてきたことがわかり、笑いました。 祖母が80代半ばの頃、「自分史」がブームになり、帰省した私は、ふと思い立って、書いてもらうことにしました。書き始めると、あれもこれもと浮かんで来るので、筆が止まらなくなったと言っていました。たしか数日で仕上がったように記憶しています。 厚い便箋1冊分を謎解きのように読み進め、ワープロ原稿をプリントアウトし、次の里帰りの折り、祖母に読んでもらいました。何ヶ所かダメ出しがあり、帰宅後、更に上書き。 検閲済みの自伝を、長子である伯母に見せると、「あれ、私の誕生日、間違うとる」 1歳年上に書かれていたらしく、苦笑いしていました。この調子だと、あちこちに記憶違いがあるのかもしれませんが、大正時代の我が家を語れる人は、もういなくなってしまいました。一人一人に物語があることを、私は祖母に学んだような気がします。 四十九日に出るため、一昨年のGWに、私は単身帰省しました。 帰りの機内のオーディオ番組で、竹内まりやさんの新譜「DENIM」の曲が流れ、ご本人とDJの女性がおしゃべりしていました。 味わい深い歌詞に、しみじみと心に沁みる曲ばかり。永久欠番となった祖母との思い出を反芻していた私には、まさにストライクゾーンど真ん中でした。春先にNHKの「SONGS」で初披露された、人生の扉 に感動し、偶然空の上で聴けたことに、何かのご縁を感じました。 その数日後の5月16日、楽天のサイトをのぞいているうち、間違って「ブログを始める」のボタンを押し、生まれたのがこの日記 です。 追悼記事を書かずにいられないのは、たぶん、いつも祈っていた祖母が、心の中にいるからでしょう。この2年間、辛い別れや、いろいろな悩みもありましたが、なんとかここまで続けて来られたことを嬉しく思っております。 いつも温かいコメントを下さるブログ仲間の皆さま、あしあとを残して下さる皆さま、お立ち寄り頂き、ありがとうございます。これからもマイペースで、好きな歌を歌い続けていけたらと思っています。ブログの更新やPCをお休みされている仲間とも、またいつかおしゃべりを再会できることを願っています。 音楽はタイムマシーン。こんなミーハーブログですが、お好きな曲が見つかったら、どうぞ、あの頃へタイムスリップしてくださいね。最後まで長文にお付き合い頂き、だんだん。これからもどうぞよろしくお願いいたします どんな立場の人であろうと いつかはこの世におさらばをする たしかに順序にルールはあるけど ルールには必ず反則もある 街は回ってゆく 人一人消えた日も 何も変わる様子もなく 忙しく忙しく先へと 百年前も百年後も 私がいないことでは同じ 同じことなのに 生きていたことが帳消しになるかと思えば淋しい 街は回ってゆく 人一人消えた日も 何も変わる様子もなく 忙しく忙しく先へと かけがえのないものなどいないと風は吹く どんな記念碑(メモリアル)も雨風にけずられて崩れ 人は忘れられて 代わりなどいくらでもあるだろう だれか思い出すだろうか ここに生きてた私を 百億の人々が 忘れても 見捨てても 宇宙(そら)の掌の中 人は永久欠番 宇宙の掌の中 人は 永久欠番 (詞:中島みゆき) 永久欠番 時 代 蕎麦屋 ファイト ホームにて お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2009年05月17日 20時25分05秒
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