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2015年01月17日
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カテゴリ:追悼
神戸の埋め立て地を宇宙から俯瞰する。#阪神淡路大震災20年
20 years since #Kobe Mega quake today.


<今日のツイッターより>

いつもと同じ朝、いつもと同じ朝の会話、いつもと同じ・・・でもそれはとても大切で愛しく幸せな瞬間なのです。ひとりひとりが心に刻む1日になりますように。改めて御冥福をお祈りします。


20年前のあの朝、震源に近いはずの神戸の震度がなかなか出ず、被害状況もほとんど入ってこなかったことに嫌な予感がしていた。北海道ではその2年前に奥尻島の大津波で甚大な被害がもたらされた北海道南西沖地震があり、被害の最も大きな場所の情報が入ってこないということを経験したから。大都市神戸の震度が6が発表されても、北海道で放送されていた東京のテレビ局の朝の番組は、関西の状況を気にかけながらも、比較的のんきに平常に近い編成を続けていた。状況が変わったのは夜が明けてヘリの空撮で火災や建物、高速道路の倒壊を映し出してから。それからテレビは震災報道一色になった。20年前のあの日、犠牲になった多くの方々のご冥福をお祈りいたします。同時にその尊い犠牲や、生還された方々の過酷な経験から得られたものが、現在、そして将来、この地震国に暮らす人々の中に、自然災害の被害から命を守るための教訓となって生き続けますように…


まもなく「あの時」を迎える。会場のアナウンスで東公園中央のロウソクにみんな集まれと。大勢の人がごった返しているのに、静か極まりない。東公園の一角で黙礼。時が止まったかのように何も聞こえなくなった、車の音や人々の話し声も。ただ聴こえるのはすすり泣く声ばかり。もう20年、まだ20年。


      



満月の夕(ゆうべ)~震災が紡いだ歌の20年 NHK総合 17日(土) 23:15~
ミュージシャン中川敬、山口洋が共作したこの歌は、震災後の20年間多くの歌い手によって歌い継がれ、今は東北で予期せぬ災害に傷ついた人々を励まし、癒やし続けている。歌に込められた人々の心の風景とは。。。


      


      

           


阪神淡路大震災から20年。俺はまだ母さんのお腹の中やったんやけど、母さんがお兄を抱きしめて、母さんとお兄を 父さんが上から覆いかぶさるように守ったんやって。家で一番大きいタンスが父さんの背中に倒れてきて、「こんくらい余裕 お前ら守るのが俺の仕事や」って言ったらしいっすわ。当たり前…ってなにかわからんけど、いま笑えてることに感謝しないとね。いつ起こるかわからんから今できることを精一杯しようと思う。あの時守ってくれた両親に感謝。



      



20年とはどういう年月なんだろう。「風化」という点で誤解を恐れずに言えば、戦争と似ているのかな。私は戦後20年ぐらいの戦争を知っている人をぎりぎり知っているが、直接は知らない世代。知らないけれど、常に頭の片隅にある。伝えていかなくてはいけないという気持ちもある。

      
      


    


家が潰れたり道がバキバキに壊れたり、とにかく尋常じゃない景色の中で、スーツ来て駅に向かう人の多さにびっくりした。(何割かは駅がペシャンコになってるの見て戻ってきた。) それまで、朝スーツ着て会社行くお父さん達を、何の疑問も持たず「立派な大人」なんだと思ってたけど、そういったものに対して疑念を持ちだしたキッカケかも知れないな。プログラムされたロボットみたいだった。


阪神大震災から20年。正直言うとピンとこない。それは直接体験していないからだろう。
東日本大震災も、自分が体験した都内の揺れとその後の8kmの徒歩移動がすべて。津波はテレビ画面で見たに過ぎない。現実に現場で体験した人のものと同じにはなりようがない。戦争体験も、リアルに体験した人がどんどんいなくなれば、口伝されるものや書物や映像から類推する以外になくなる。それは、食べたことの無いご馳走の味を妄想するようなもので、頓珍漢な味にしか到達しないことを否定できない。大震災の悲劇をピンとこないことを不謹慎などと非難するのは簡単だが、正確に伝えていくことはやはり困難なのだ。経験者がいなくなった後、体験していない者が伝える時代になるとリアリティーはどんどん薄まることは覚悟しなければならないのだろう。


隣家のご主人はタンスの下敷きになり病院に行ったが、もっと重症の人が多く24時間以内に吐き気めまいがなければ大丈夫と返された。いつもお父さんと一緒に寝るうちの次女も、同い年のお嬢さんも、たまたま、あの日に限ってお母さんと寝ていたので助かった。奇跡だった。彼女も次女も看護師になった。

小さな女の子が、壊れた家の前でパパ!ママ!と泣き叫んでいた姿をテレビで見た。あの女の子、今どうしてるんだろう。忘れられない。幸せになってるといいな。

報道ヘリの爆音でセレモニーの挨拶がほとんど聞こえなくなるという、震災から20年経って神戸は復興したけどマスコミは変わらない事を再確認するつどいが行われております。

ヘリの音がうるさくて神戸市長のメッセージは全然聞こえなかった。黙祷中はスチールカメラのシャッター音がそこら中から延々鳴り響いていて黙祷どころじゃないと怒ってる人もいた。大事な瞬間だけでもガイドライン作って取材抑制するなどして来てる人に配慮しないとマスコミの心象は悪くなるばかりだよね。ヘリは無理にしても、一眼レフのシャッター音は機種を変えれば解決できる。一方、黙祷中、スマホのシャッター音はほとんど聞こえなかった。一般参加者はほとんど黙祷していたんだと思う。だからこそ余計にシャッター音がうるさく響いたんだ。


神戸出身で、震災で一時期仮設に避難してた友人が、東日本大震災の時「助けてもらったから」って有り金全部募金に投入したのが今でも忘れられない。

大学の専攻も今の仕事も建築系で、色々勉強して現状見て思うのは、この20年で本当に住宅の耐震関係は進化してるなってこと。免震・制震材だけじゃなく、構造計算や屋根材の軽量化など基本的な事も。


阪神淡路大震災の時は関東人の中で働いていたので、関東と関西の心理的距離をだいぶ感じていた。そこへ3月の地下鉄サリン事件で東京から震災ニュースが遠のいた感じ。

阪神淡路震災でショックだったこと。数日後、一部復旧した阪神電車に乗って大阪に向かった時、武庫川を越えたら、つぶれた家もなく道路が波打ってない。全く普通で何もなかったかのようだったこと。本当に局地的な災害だったと初めてわかった。

震災後数週間経つと地元在住者でもボランティアでも報道関係者でもない人達が湧いてきて全壊家屋の前で写真撮ってすごく問題になった。今ならTwitterにアップして炎上だよね。ある意味日本人はブレない。


阪神淡路大震災くるまで、関西で地震はない❗っていわれてたもんね。就職して東京に行き、新人研修中グラッと来た時、関西勢はキャーと叫び、関東勢は、え、これくらいで怖いの?と呆れてたのが印象的。

20年前の揺れは覚えている。8ヶ月の息子を布団をかぶって守った。寝室のタンスを主人が押さえていた。食器棚の中が一部崩れて割れていた。全然違う地域なのに揺れの違いを感じた1.17は忘れない。

まさか神戸に地震なんて考えてないから飲料水の備蓄などしてなかった。停電と断水でトイレにも行けない。でも究極の非常時には食欲もなくなるし、飲んだり食べたりしたらトイレに行かなくてはならないと思うとそんな気になれなかった。

20年前には電子メールはPCだけだし携帯持ってる人は極々少数。停電してTVは見られずラジオを聴いて初めて神戸が震源地で死者が出る大惨事だと知った。公衆電話には長蛇の列。テレフォンカードは使えず10円玉を握りしめて並んだ。


阪神大震災の被災地は神戸周辺だけやないんよね。淡路島も被害大きかったんだよ。きれいになった神戸の街並みだけ見て復興したと喜ばないでね。

「頑張ってくださいね」の一言、言った人は励ましてるつもりでも、言われた方は、実はすごく突き放された気持ちになる。

「復旧の途中。復興はしてない」というオッチャン達の言葉に泣きそうになる。そして、そうはいっても震災の年に生まれた子が成人式を迎えている今、“震災前の神戸”を知らない人にこの言葉はどう響くのだろう?と考えてしまう。

震災を忘れるな、も大事。でも、神戸でお話ししたおばあさんは、震災は忘れたい言うてた。忘れて元気に過ごすのはダメなのかな、と悩んでた。

忘れる人も居ていいねん。忘れたい人もおるねんから。憶えておきたい人は憶えてたらええし、忘れたくない人は忘れんかったらええねん。好きにしたらいいねんが私の20年の感想。

平成27年1月16日から 仙台市危機管理室 はTwitterの運用を開始しました。災害における情報収集手段の一つとして、多くの方に活用していただきたいと思います。


あれから20年。被災者の高齢化が進み、神戸市民の44%が震災を経験していない。



     カメラYahoo   ノート神戸新聞   テレビ神戸在住  えんぴつそなえ


※ 追記しました。


【もう一度 満月の夕】総合 きょう(3/8)深夜(9日)午前1:16~「満月の夕 震災が紡いだ歌の20年」アンコール。阪神・淡路大震災を機に、ミュージシャン中川敬と山口洋によって共作された歌「満月の夕」にこめられた思いと、歌に支えられた人々の物語








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最終更新日  2015年03月08日 23時18分59秒
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