テーマ:■■東京下町■■(1120)
カテゴリ:下町の歴史
先日、清澄庭園のコラムを書いたが、続きを書いたので、今回もちょっとさわりだけ紹介しておこう。
____________________________ ★☆ 元さんのとっておき 第85回 ★☆  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ 清澄庭園って誰がつくったんでしょう。前回の話の続きです。 まずは清澄庭園の歴史を簡単にしなければなりませんね。 元々は紀伊国屋文左衛門の屋敷跡だと言われています。 その後、千葉の関宿の城主、久世大和守の下屋敷となりました。 屋敷内に庭があったんでしょうね。 この頃、ある程度の庭園の基礎が形づくられたようです。 そして明治時代になってからは、前回も書きましたが三菱財閥の創始者、岩崎彌太郎の所有地になりました。 岩崎家が財を投じ、「深川親睦園」という名前のりっぱな庭園が出来ます。 これが現在の清澄庭園の前身ですね。 余談ですが、この庭園、今の清澄庭園よりも当時は広かったんですよ。 これも前回ちょっと書きましたが、現在の清澄庭園の西には、清澄公園という公園があります。 まあ普通の公園です。広さは清澄庭園よりちょっと狭いぐらいかな。 大きな広場があったり、人工の川にアスレチックがあったり。 その清澄公園は、元々は深川親睦園の一部だったんです。 というか2つあわせて深川親睦園だったんです。 ---------------------------------------- 興味のある方は読んでみて下さい。 サイト版 http://www.shitamachi.net/ メルマガ版 http://www.mag2.com/m/0000079066.htm お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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