なんやしらんけども
大橋卓弥くんって、なんやしらんけども窪塚洋介くんに似てないかい?いや、雰囲気とかオーラとか表情筋の動きとかうーん、妙に似ちょるよ。ってことで、sakura,Canvas,ボクノート,Sympathyを購入したですよ。全部初回限定盤買った。やったね。でさ、消費した金がですよ。これが問題だ。なんか知らんけど、7382円だった。ありえない。マジで。何それ。オレの小遣い一瞬にして消え去った。つか、一瞬払えないかと思った。まぁ、なんとかなったけど。sakuraはアニメ版こそ最高だと思ったけど、CDで聴くとあんまそうでもなくて鬱。でも、Canvasはいいと思うよ。うん。いいね。っつか、sakuraの初回限定盤のヤツ、なんかデカい。結構読みごたえあったぞコノヤロフ。ボクノートはボクノートだね。DVDは結構おもろかったよ。ただ、猫になれって曲はまぁ…「君に呪いをかけて」みたいなまぁ…うん…まぁ…そんな歌詞で…猫になれ…みたいな…まぁ、うん。いや、高橋瞳は高橋瞳だね。うん。やっぱ鼻の穴おっきいと思った。高橋瞳。でも、青空のナミダのPVはウマいっつーかいいと思うよ、うん。うほっ。っつか、知らない間に某雪氏の誕生日が過ぎていたようで。2月20日でした…らしいですよ。教えてくれよ!!言ってくれれば俺プレゼント持って突撃したのに!!うう… まぁ、オレ某雪氏の欲しいものわからんのだけれども。とか思ってたら某倖田ファンから取り上げた50円が奪われてさぁ。なんかせっかく放送の時間を五分も無駄にしてSomeday流したのにとか思いながらプリペイドカードFOOO!!!!いや、なんでもない。なんでも。…ん?レアモノ?…マジか。まぁ、明日から放送は卒業ソング祭りに切り替わるから祭り、水曜日までに終わってくれるといいなぁと願いながら…いやね、なんつーか、頼まれてたCD流さなかったらN.K氏に怒られましてっつかN.K氏にあんなに怒られたのは正直初めてでオレビビっちゃってホント困った。マジで。いや、だから来週流すよこのやろう!!とか叫びながらなんとかその場を収めたわけですよ。だから来週の水曜日流さなきゃいけないのマジで。水曜日あいてないと、…オレ、結構困るね。結構毛だらけネコ灰だらけ俺は血まみれ?え?今度は殺されるかもわからんよ? 翼の折れた天使たち アクトレスおじいちゃん、オレ泣いたよおじいちゃん最高なんだけど。マジ泣いたけど。すげぇ演技だけど。おじいちゃん最高。マジで。…おじいちゃぁぁぁぁぁん!!!!!!うっ…ううっ…おじ…いぢゃ…ん…うう…ウヴォア。いや、いっとくけど俺はマジで巨乳嫌いだよ?あ? きいてない?…あ、そう。…そう。そりゃぁ、現実であればその言葉自体に背徳心が芽生えたりその言葉自体が甘美な響きを持って心に巣食うわけだから特にシチュエーションなど気にせずともよい。トイレみたいなところとか、汚いところでなければ将来思い返したときには相手が意中でさえあれば色々な思い出を伴って脳裏に鮮明に思い浮かんでくるはずなのだ。だから、まぁそんなことはどうでもいい。問題は、二次の話だ。三歳の頃から耽りに興じて来たオレとしては、確かに年を経る毎に想像力が減少傾向にあるのは感じないわけじゃない。しかしそれは、言うなれば媒体を必要とする体になってしまったと言わざるを得ない。もう最悪だ。想像力は大事だぞバカ息子が。つまり、想像そのものが一種の映像でありストーリーであり、それは既成のものではないから(当然記憶から発現するものだから、既成のものが混じることは否めないが)幾らでも組み換えが利くし、自分が中心で動くし、まぁ言うなれば一種の独裁の国なのである。それは脳内の記憶と溶け込んで現実以上に甘美な様相を呈してまるで具現するかのように浮かび上がってくる。まぁ、いうなれば、想像力の減少する今現在において重要なのは、シチュエーションの問題なのだ。想像のときは、とにかく自分の好みに展開し、1から作成するわけだから、当然シチュエーションは最高の値を振り切れる。しかし、そこに在る二次であるとか、文であるとかは一定の部分にのみ枝を広げているわけであるから、それが好みと合わなければ、それを使う側としては諦めざるを得ないわけなのだ。だから、シチュエーションはできるだけ展開の広がるものでなければならないと思うわけだ。まぁ、一定の境地に達しているようなまるで仙人レベルなら好みを探すのもまた一興だとは思うが。因みに、オレとしては展開の大きなシチュエーションがいい。流れも組みかえられてこそだ。つまりは、全ての段階の数が多ければ多いほどいい、という話なのよ。だから、例えばA×Bであるとして、第三段階まであるとするとAとBの間で交わされるのは三回で、そりゃぁまぁ感情面の問題で増えたり減ったりもあろうがつまりは三回が基点になるわけだ。で、それにCが加わると、三回だったものが六、下手すれば九回までその総数は増加する。ABで三段階、ACで三段階、ややもすればBCでも三段階、といった具合だ。それが人数が増えるごとに総数の増加に繋がるわけだから、当然人数は多いほうがいい。まぁかといって、多すぎても比率が合わなければどうしようもないのも事実だし、脳内でそれほどまでに多数の物語を一斉に処理するというのもまた無理な話ではあるが。それから、場所や時間、道具の問題もある。当然道具は多い方がいい。「段階」が道具の個数に連れて増加するからだ。場所や時間は、その行為そのものの回数を増やすことにつながる。つまり、場所や時間が完璧であれば、ABの一組だけでも、三段階の行為を何度もするわけだから六回にも九回にも、とにかくかなり膨れ上がるわけである。まぁ当然、道具や衆人環視、色々な環境が作用しなければ同じ内容ばかりに興じていても飽きるしか道はないのだけれども。いやぁ、結局何がいいたいのかといえば、想像力よ戻って来い、まぁそんな結論に達するわけであってどうせ人物に対して想像力を駆使してその人物を脳内に具現させたところで、それが実際の姿かは解らないし、逆に失望の度合いを深めるだけだからやっぱ現実がいいといえばいいんだろうけど。え?意味がわかんない?いや、わかんないほうがいいと思うよ。マジで。いやぁ、オレも暇だね。