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カテゴリ:里山での読書
多田富雄の「わたしのリハビリ闘争」 NHKの日曜日に放映されるアーカイブスで多田富雄を知った。世界的な免疫学者の権威であることも知らなかったが、新作能の作者であることも勿論知らなかった。 放映されたのは「脳梗塞からの再生 免疫学者・多田富雄の闘い」(2005年制作) で、視聴者からの要望の高いものを再放送したものだった。 多田富雄は2001年に脳梗塞を患い左半身麻痺と嚥下障害、発声障害を抱えながら執筆活動、後輩の研究者の指導にあたっていた。ところが突然降ってわいたように抜き打ちに行われた2006年のリハビリ診療報酬改定によって、リハビリ医療を受けている人々が180日を過ぎると治療が受けられなくなるという「医療の切り捨て」に直面することになり、多田もその渦中にあって、命を賭して立ち上がる。この生きる闘いを続けた多田富雄の映像記録だ。 その多田富雄の人物と生きざまをもっと知りたくて図書館から借りてきたのが『わたしのリハビリ闘争』(青土社)と『寡黙なる巨人』(集英社)そして『独酌余滴』(朝日新聞社)だ。この間の雨で『わたしのリハビリ闘争』を読み終えた。 その改正は病気や障害の多様性、患者の個別性を無視して一律にリハビリ医療の上限を180日するという内容で、最弱者である人々の生存権を脅かされることにつながる危険があるという。なぜならリハビリは回復だけでなく、回復できない障害を持った患者の機能を維持させ、それ以上機能低下を起こらないようにすることも、もう一つの大切なリハビリ医療なのだ。上限の日数が来たから止めるということは、この身体機能の維持的療法を取りやめることでありさまざまな機能の低下を、ひいては命を縮めることを是認することであるという。 恥ずかしながら、このリハビリ治療の維持的療法という面を考えてなかった。そして、このリハビリ診療報酬改正の犠牲者の一人が、あの社会学者の鶴見和子さんだったということも初めて知った。その彼女が病床から詠んだ歌が紹介されていた。 ねたきりの予兆なるかなベッドより おきあがることのできずなりたり 彼女はこうも書いている。長いが紹介したい。「戦争が起これば、老人は邪魔ものである。だからこれは、費用を倹約することが目的ではなく、老人は早く死ね、というのが主目標なのではないだろうか」「そこで、わたしたち老人は、知恵を出し合って、どうしたらリハビリが続けられるか、そしてそれぞれの個人がいっそう努力して、リハビリを積み重ねることを考えなければならない。老いも若きも、天寿をまっとうできる社会が平和な社会である。したがって生きぬくことが平和につながる。この老人医療改定は、老人に対する死刑宣告のようなものだとわたしは考えている」(「老人リハビリテーションの意味」『環』26号 藤原書店) ところで政権が代わって、この老人医療改定は是正されたのかなぁ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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