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カテゴリ:里山の草花たち
3月11日 運転中に地震に遭遇 3.11から100日が経過した。原発の事故の収束がつかず放射線に怯える毎日で、未だ私の中では地震と原発事故は終わっていないが、ようやく気持ちの上で整理がつき始めた。 東京に戻る連れ合いを福島市内へ送っていった帰り道、ラジオで緊急地震速報が流れた。車を止めると直ぐに揺れ始めた。はじめはゆっくりと、だが直ぐに激しく横揺れがして、次いで縦にドスンガタガタと激甚な揺れが続く。車が横転するのではないかと不安になるほどだ。街路地や街灯のポールがグラグラ烈しく揺れ、電線がブルンブルンと波打っている。停車しているのに知らず知らずのうちにブレーキを目一杯に踏んづけていることに気がつく。前に体験した震度3や4の地震と違って揺れる時間がすごく長い。 ようやく揺れが収まり走り出す。しばらく行くと信号が点灯していない。地震で電気が停まったようだ。角のコンビニの店内も真っ暗だ。交差点でスピードを落とし譲り合いながら右折する。余震なのか時々揺れを感じるので直ぐに停車できるようにスピードを落とす。前の車も後の車も同じようにゆっくり進んでいる。いつもだと15分くらいで行ける道が30,40分ほどかかった。 町に近づいた。途中のセブンイレブンやローソンはどこも真っ暗だ。6軒ほど集中している大型店舗も店内が暗くシャッターが降りていたり、臨時に休業している。トンネルが近づいた。不気味だ。中は真っ暗な黒い穴を開けている。以前、奥尻の地震でトンエルを走行中に地震で落盤して生き埋めになったニュースの場面が頭を過ぎる。灯りのないトンネルは底気味悪い。何事も無く通過できてホッとした。 なんとか無事に我が家へ通づる林道にたどり着いた。だが、ここからが気掛かりだ。途中、土砂崩れがあるに違いない。暫く行くと案の定、土砂が堕ちている箇所に何度か出くわした。幸い、通れないほどの土砂崩れはなく大岩でも1メールほど、殆どは30~50センチほどの塊だ。ぬうようにして先に進む。さらに行くと5~20センチほどの幅の地割れが口を開けて4メートル程斜めに舗装道路を横断している。行くか引き返すか迷ったが、家が壊れていないか、動物たちは大丈夫なのか心配で突破する。 家に着き、まずは下の駐車場の横のYaeの小屋を覗く。いつものように "腹を空かしたとヨ" とエサを催促している。犬小屋の前でクウガ飛び跳ね迎えてくれた。クウは地震が相当に怖かったのか犬小屋の脇のイチジクの小枝を数本折って、その先で前足の脇腹を傷をつけていた。幸い大したことはなさそうだ。 家も崩壊せずに立っていた。家の中に入れておいたチュウはドアを開けるなり ニャオー と擦り寄って片時も離れようとしない。部屋のテレビや茶箪笥、冷蔵庫、パソコン等は固定しておいたので倒れず無事だった。ただ積んで置いた本棚の中の本がバサッと落ちていた。2階の押入れのドアが開いて、棚の上から予備の毛布の入った箱が毀れ落ちていた。どの部屋も大きな被害はほとんどなく済んだようだ。ずーと後に気がついたのだが土蔵の壁も2×3メートルほど崩れていた。 その日から三日間、停電が続いたのはしんどかった。最初の夜は暗闇の中の余震が怖く家ノ中に居るのが恐く、車のなかに布団を敷いて過ごすことにした。中で横になっていると隣の家のお兄さんが一緒にいかがですかと声をかけてくださった。お陰で隣人の家族の4人と暖かい炬燵で夜を過ごせて安心した。余震がある度にローソクの灯を消して皆で一緒に飛び出した。 余震におののきながらの一夜が明けた。電気が通じないから携帯ラジオが唯一の情報源だ。どうやら地震の規模も震度や津波の被害は相当なものらしい。数日後、電気が通じるようになってテレビの映像を見て、そのひどさに度肝を抜かれた。自分の想像をはるかに超えるものだった。
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