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2012年05月08日
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カテゴリ:里山での読書

一茶は、なかなかしたたかな人

昔、教科書で名前が出てきて何句か読んだ程度の一茶。『一茶』(藤沢周平)を読んでイメージが膨らんだ。当時、読んだ句 「めでたさも中位なりおらが春」「やせ蛙まけるな一茶これにあり」 「雀の子そこのけそこのけお馬が通る」「これがまあ終のすみかか雪五尺」 「ともかくもあなたまかせの年の暮」 生活苦の中で老いの不安に苛まれ志をあきらめて江戸から後ろ髪を引かれるように雪深き信州に戻った一茶を知ると、これらの句も味わい深く、胸に迫ってくるものがある。

img318.jpg

こういう「伝記小説」ものを読むと、ついつい全部解ったような気になってしまうのが悪い所で、一茶を知る機会にはなったものの果たして何処まで理解できたのだろう。そんなことを考えていたら、数日を挟んで読んだ 『周平独言』 (藤沢周平・中央公論新社)の『三人の予見者』の中で面白いことが書いてあったので少し長いが紹介する。

「対象がどのような人間であれ、一人の人間の全貌をつかむということはむつかしいことである。厳密なことを言えば、この作業は不可能に近い。人間はそれぞれが、他の人間が窺い知ることのできない暗部をかかえて生きている存在であるだろうし、その意味では一人ひとりが一個の謎である。」

「しかし一方、人間は個として存在するだけでなく、社会的存在として他者に見られている自分を併せ持つ生き物である。そして人間は、自分のことは自分が一番よくわかっていると思うほどには十分に自分を知悉しているわけでもなく、時には他人の目の方が正確にその人間をとらえていることもありうる。」

「だから、ある人間を理解しようとして、まずその人間の外に現れた部分の理解から取り掛かるのは方法として正しいことだし、次にその理解を手掛かりに、内面を推し測って、かくもあろうかという人間像まで肉迫することも可能なことである。しかしそれでも、人間の謎はまだ残ると私は思う。」

藤沢周平は、歴史上存在していた人物をこうした方法論を持って描いていた。これは人間に限らず、あらゆる物事を理解することにも通ずる方法論だと思う。ただ、その際に外に現れた事象をどれだけ多く収集し把握することができるかで肉迫のほども違ってくると思う。松本清張や司馬遼太郎、立花隆が一つのテーマの本を書くにあたって資料の収集に半端じゃない労力を費やすのは、つとに有名だ。古本屋や専門書店の棚から関係する本や資料がごそっと消えると何かで読んだことがある。こうした書き手のものは信用できそうだ。『一茶』の巻末にある参考書目もたくさんの本や資料が上がっていた。詰まる所、小説家の力量は、まるでそこに居たかのような想像力をかきたてる筆力以前の事実に対する真摯さいかんなのではないだろうか。






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最終更新日  2012年05月09日 00時41分40秒
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