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カテゴリ:時事
北朝鮮と戦争が年内に起こるかもしれないとふと思ってしまった。
それはともかく、 最近ミッドウェー海戦についてふと考える機会があった。 皆さんはあれが敗戦のきっかけと思っているでしょうが、 以前にも書いたことがあったかのように思いますが、 敗戦は真珠湾の時点で既にきっかけを置いてきたのです。 オイラは戦力差から日本は絶対にアメリカには勝てなかった、 という軟弱なお馬鹿な発想は持ち合わせておりません。 むしろ当時の技術においては日本のほうがアメリカよりはるかに上だったことは、 ゼロ戦が、 「ゼロファイター」 と恐れられていたことからも良く分かるかと思います。 では何故真珠湾? 答えは母港としての機能が残された状態で引き揚げていたからです。 〈ドックに石油タンクなど港湾機能が無傷というのは、、、〉 このことを考えてみた場合、 南雲中将をこの時点で配置転換しても何も問題はなかったのです。 元々水雷畑の方でしたし。 新型のものを使う場合はやはりそれについて若干でも長けているものを使わなくては成らないのです。 そうやって考えてみると織田信長は秀吉をうまく使っているなぁと改めて思う次第であります。 航空戦の特徴は自分が視認できる状態で戦闘が必ずしも行われるわけではないと言うことです。 日本人が強いと言われる平面戦ではなく、 むしろ苦手とされる空間戦です。 して、 ミッドウェー海戦最大の失敗は判断におけるものです。 山口少将は他三艦と離れ、 兵装の換装をせずに発艦させていきました。 結果としてこれがヨークタウン攻撃へと結果付けます。 作戦が筒抜けだったからとか言う人がいますが、 その割にはアメリカ側は各個連隊がバラバラで出撃しました。 (このことは飛行部隊の戦闘としては一番やってはいけないこととも言われています) 確かに結果としてはこれが奏功した格好にはなっているのですが、 部隊によっては何も出来ずにゼロ戦に落とされたものもありますし、 むしろ空中戦においては日本側が圧倒的に支配していました。 (教科書では教えない事実) 作戦が徹底していなかったとか言う人もいますが、 山本長官は敵艦がいるものと思えと指示しており、 現に始めは雷装の状態であったのです。 南雲中将が凡将であったというわけではありません。 そんな人が中将になれるわけはないですから。 ただ、 相手の出方を待つことができない中で、 そうした戦闘しかしてこなかったし、 そういう教育しか受けてこなかった人物にこの任を与えたことが失敗だったとは言えるでしょう。 よく南雲中将じゃなくても同じ結果になっていたという人がいますが、 そういう人は大抵日本がアメリカに勝てるはずが無いというお馬鹿な人達です。 実際に山口少将は反撃をしており戦果を上げているのです。 もしこのとき飛龍と共にしていなければこの海戦後の空母戦においてはまた違った展開になっていたかと思います。 まだ日本には瑞鶴・翔鶴という正規空母がおりましたし。 優秀なパイロットを全て失ったことも痛かったのですが、 この山口少将の死が日本海軍にとっては一番のダメージであったかと思います。 北朝鮮が停戦協定を破棄した状態にある中、 のほほんと皆さんお過ごしになられてますが、 今現在は有事なのです。 今日のたかじんのそこまで言って委員会では、 CIAの話が出ていましたが、 そんなものより朝鮮総連や、 大韓民国民潭といった朝鮮人系のほうがはるかに怖いのです。 なぜか? 通名という名の日本人名を持っているからです。 あと中共系も当然なことですが。 次の時のために過去を振り返ってみることもたまには必要なことかと思います。 温故知新です。 ミッドウェーについてはまだあれこれ書きたいのですが、 北朝鮮の方が気になってきました。 たまにはこれを見てよく考えてみてください。 【日本】 民主党の正体 【売却】 ホームページを作るなら、、、 一度見てみて! とりあえずクリックしてみてね! 春から何か資格を取りに行ってみませんか? 資格取得の際の勉強は一種の自己啓発だと思います。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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