いまさらながら先週の日曜日に行われたF-1オーストラリアGPを見ての感じた事を述べる。今回のオーストラリアGPは完走13台という、かなりサバイバルなレースになった。アルバートパークという公園をコースとする所謂市街地サーキットだ。路面は滑りやすく週末から雨が降ったり止んだりのコンディションで道路は汚れ、路面温度も上がらない。タイヤもグリップしないわけであちこちでクラッシュ。ペースカーも4度ほど入り(たぶん...)レースは荒れ模様の展開だったが、やってくれました佐藤琢磨。見事完走を遂げた。僚友の井出も完走。スーパーアグリとして順位は最下位だが初のチーム2台の完走となった。シャシー、エンジン、ドライバー、オーナー、ピットクルー、全て日本。ALLジャパン。日本人の日本人による日本人の為のチームだと思う。しかし、日本人はこんなところに金をかけないんですね。と、いうかスポンサーにつかないですねー。遊びと思っているのでしょうか。何かに挑戦するとかいうのにスポンサーになってくれる企業は断然欧米のほうが多い。天下り税金無駄使いの特殊法人やなんやらが予算を使い切らなければならないから無駄にジャブジャブ変な事に使うよりこういうところのスポンサーにでもなったらどうか。さてそのスーパーアグリのドライバー佐藤琢磨、この男は凄い。普通、F-1パイロットになれるやつは幼少の頃からカートにのれる比較的裕福でそういうのに理解がある親の下で育たないとなかなかなれない。最近は2世ドライバーも多くなってきている。日本のサラリーマンの子供になんかは到底なれっこない職業である。が、しかし、琢磨は違う。まあ琢磨の両親は弁護士と舞台俳優らしいので一般のサラリーマンとは収入の面は違うと思われるが、普通の家庭と同じような教育を受けていて、87年の鈴鹿GPを見てモータースポーツに憧れを持つが、どうやったらレーサーになれるか分からずに(両親もそういうのを許さなかったと確か琢磨は言っていた)幼少時代を過す。中学は陸上部、高校、大学は自転車部。モータースポーツはでき無いがなにかスピード、競う事をしたかったという琢磨は自転車を選ぶのだが高校には自転車部はなく、担任を顧問に独力で部を立ち上げた。もちろん部員は琢磨1人だけで後に廃部している。高校卒業後夢を捨てきれずにSRS-F(鈴鹿レーシングスクールフォーミュラー)に入学した。この入学するときの逸話が凄い。入学試験は書類選考だけだったのを「面接をして欲しい!」と嘆願したのだ。琢磨は当時の事をこう語る。「SRS-Fの入校手続きをして、説明会に参加しました。ところが、選考はすべて書類審査で行なうため、説明が終わったところで『今日はこれで終了します』と告げられたのです。これはSRS-Fに自分の将来を賭けていた僕には納得できないことでした。何しろ、これがSRS-Fに入る最後のチャンスでしたから。(年齢制限がある)それに、僕がSRS-Fを志望した第3期は、第1期卒業生の山西康司選手が全日本F3選手権で大成功を収めた直後ということもあって、定員7名のところに、70名近くもの応募があったのです。だから、書類審査にすべてを託すわけにはいかなかった。そこで『せめて面接をさせて欲しい』とお願いをしたところ、この希望が叶って面接に臨むことになりました。」「そこで、後は思いのたけをぶつけることにしたのです」情熱が伝われば人は動くといわれているが、まさしくこれもそうだろうか。レース経験がない琢磨がSRS-Fに入校出来たのである。情熱で自分を動かし、そして人を動かす。温厚だが内には熱いものがある。こんな琢磨を私は大好きだ。2年前の戦闘力不足のマシンでキツイだろうが「がんばれ琢磨!」。
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