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カテゴリ:私のスキー歴
病院で診てもらった結果、前十字靱帯損傷と診断されました。
断裂ではなかったのが唯一の救いでしたが、前十字靭帯は膝の靭帯で最も治るのに時間がかかる靭帯だというのを知っていました。 「せっかくカナダまで来て、これで今シーズンが終わるのか」 当時は相当落ち込みました。 3シリーズのFISレースに出るつもりでしたがそれも計画を変えざるを得なかったです。 しかし、なんとか早く治して、一日でも早くスキーがしたいという思いで、通院、リハビリを頑張りました。 2月にはバンクーバーオリンピックがあり、私が一緒に練習していたマスターズのチームのホームゲレンデであるナキスカには、オリンピック事前練習でジャパンチームを含む、数多くの国のチームが来ていましたが、それも見に行くことができませんでした。 3月に入って、膝の痛みは徐々に消え、先生にも徐々にスキーを始めていいと言われました。 自分でも明らかに完治はしていないとわかっていましたが、このままで帰るわけにはいかないという強い思いがあったので、スキーを再開することにしました。 その時点で4月頭のパノラマのFISには出ることを決めていましたが、到底それに向けて戦う準備など十分にできるはずはないので、目標を切り替えることにしました。 自分ではけがの原因は分かっていました。私はターンの後半で膝を内側に動かしてしまう癖があったのですが、その動きと、板が曲がろうとする動きが相まって、膝を過剰に内側にひねってしまい、けがにつながりました。 この悪い動きをなんとかして、今シーズン中に治すこと、これを新しい目標としました。 結果的には、人生初のFISレースはインジェクションでもしたかのような、インスペで下りるのが怖いほどのアイスバーンでのレースとなり、散々な結果でした。 しかし、サンシャインスキー場は5月24日までオープンなので、フリースキーを中心にトレーニングを重ねました。 その時に、一緒にトレーニング、また指導していただいたマスターズのMurray、CSIAレベル4(カナダのイントラ免許の最高峰)の森本さん、岡田良子さんには本当に感謝しています。 Murrayは私のことを日本の息子と言ってくれていて、ホームパーティにも呼んでいただいて本当に良くしてもらいました。 森本さん、岡田良子さんは私と同様に、大人になってからスキーを始められたのに、本当にスキーがうまくて、何よりスキーを愛していらっしゃった。 本当に尊敬できる方々でした。 岡田良子さんは技術選の前身である大会で2年連続優勝されたすごい方です。そんな方と一緒にスキーができて、本当に幸せでした。 こうした皆さんのおかげで、自分の癖を直すという目標が達成できました。 そして5月の末に日本に帰ってきました。 スキーを再開してからも自分の膝が万全ではないことは重々承知していました。 なので、日本に帰ってきたら一度しっかり病院で診てもらおうと思っていました。 そして、病院に行きました。医者の診断は外側半月板損傷というのもでした。前十字靭帯大丈夫でした(損傷の度合いが軽いと治ることもあるらしいです)。 医者は私に 「スキーをしたいんだったら手術したほうがいい」 と言いました。 そして、私は手術を決断しました。 手術は無事終わり、約2週間の入院の後、歩行には困らない程度まで回復しました。 それと同時にリハビリ生活がスタートしました。 現在も来シーズンしっかりスキーをするために、本気でリハビリを頑張っています。 どうせなら元通り以上になってやろうと心がけています。 私は決してスキーがうまいわけではありません。でもスキーが好きです。スキーのための努力は惜しみません。 来年には両親との約束の2年が経過しますので、就職するつもりです。今から就職活動もしなければなりません。 もちろん、私の中ではスキーのための就職です。 すべてはスキーのために。 長くなってしましましたが、以上が私のスキー歴です。 最後まで読んでいただき、ありがとうございました。 これからもスキーに関する情報を発信していきます。 それでは。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2010.07.21 23:02:04
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