テーマ:暮らしを楽しむ(388166)
カテゴリ:社会
っていうコピーがありましたよねえ。 これって、ある年齢層(団塊世代?)以上の方々には、ものすごく評判が良くって、かつ、記憶に残るコピーなのだというのですが、私くらい以下の世代、特に若い世代にとってはどうなのでしょう? クラウンという車は、たいていの場合、座席に白いカバーが掛けてあったり、後部ウインドウにレースのカーテンが取り付けてあったり、後部座席背もたれの後ろのスペースに大きな鳥の羽でこさえたホコリ払い用の刷毛がおいてあったりしましたよね。でもって内も外も必要以上にいやらしいくらいにぴっかぴっかに磨き立てられてあった。 若い頃の私は(今でもそうですけど)、そんなクラウンに、たとえば窓にレースのカーテンを引き赤いベルベット張りの座席と人造革張りの内装に加えて天井からシャンデリアをぶら下げた、まるで中途半端に高級感を出した、というより場末のバーやクラブを連想させるよなバスなどと同様の、怖気をふるうような野暮ったさを感じたものでした。 そういうバスが大好きな方々もいるんですから、一方的に否定するのはフェアじゃないことはわかってますが、そういう方々がクラウンにあこがれる方々とほぼかさなるんじゃなかろうかとひそかに思っていました。 だから、私の場合、「クラウンに乗る人物」というのは、どうしても、世間的にエラい人だと自他共に認められていると自分でおもっている俗物根性丸出しの金持ちで、どこぞの高級クラブ?で高級たばこをふかしながら、ママやチーママ(失笑)や若いホステスを相手に高級な酒をがぶがぶ飲み、ゴルフをしていることをステータスの象徴のように延々とひたすらに自慢する、金縁の眼鏡をかけて、薄いスケスケの黒とか紺色のビジネスソックスを履いた、自分ではスマートでダンディだと信じ切っている、脂ぎったオッサンをイメージしてしまうのですが、みなさんはどうですか? クラウンは(あ、もちろんレクサスとかセルシオとかシーマとかも)、そういうオッサン(おうおうにして、暴力団や暴走族のチンピラなんかが乗ってたりもするけどね)が乗り回す車だと思っていたから、まったく魅力を感じないどころか、嫌悪感さえ抱いていたというのが正直なところです。 この場合、「いつかはクラウン」というのは、いつかはそういう世俗的成功?を収めて俗物的趣味を持つ俗物的金持ちになりたい、ということだと感じて嫌悪感を抱いたのだと思います。 あ、この話は、あくまでも本人が運転するという前提ですのでお間違いなく。白い手袋の運転手を雇って運転させ、本人や家族が後ろの座席に乗車する、というシチュエーションなら、話は別です。 それなら、クラウンではやっぱりだめですが、黒塗り以外のメルセデスベンツで許してあげても良いです(^^;;;; って、ぶっちゃけたはなし、まったく最初から車を所有することが、私にとってはステータスにもあこがれにもなんにもなってないことを白状しているようなものですね(苦笑) それはともかく、話をもどして、もともとだいたい、車自体に余り興味が無かったということもありまして、あえていうなら、あこがれの車といえば、フェラーリだとかポルシェだとかロータスだとかモーガンだとかロールスロイスだとか(苦笑)、どっちかというとマニアックな高級感があるものや、F1などのレーシングカー、ラリーカーのようなものであったような気がします。 はてさて、いまの若い人たちの感覚はどうなのでしょう? 朝食:バタ通すと、ミルクティー、景気 昼食:冷麺、焼きそば、きゅうりのつけもの 夕食:さくらごはん、鳥肉の蒸煮、豆腐チヂミ、春雨炒め お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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