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ちょっとまえ話題になった、でんでん、の件(←これはケンでいいのかな?それともクダンでしょうか^^;)ですが……
これですね。 安倍首相、「訂正でんでん」と誤読? 参院代表質問答弁:朝日新聞デジタル http://www.asahi.com/articles/ASK1T62CZK1TUTFK00S.html これって、別に鬼の首とったみたいに取り上げることなのかなと。 実は私もそう読んでます。黙読するときは。 大人になってからちゃんと気づいていまではちゃんとわかってはいますが、いまだに文章を読み飛ばすときには、云々は「でんでん」、手強いは「てづよい」、度々は「どど」、老朽を「おいぼれ」と読んでいます。ほかにもいろいろあったような気がするなあ^^; ツイッターでも話題になっていて、 元サカ @SciCafeShizuoka さんなどは、 「こういう誤読、子供の時からの読書好きには時々起こる。音ではなく活字で目から言葉を覚えることが多いから。最初に自己流で読んでしまうと実際に発声して誰かに指摘されるまで気がつかない。私は二十歳過ぎまで市井をイチイと誤読してました。市井なんて普通は発声しないじゃないの。云々はどうかな…」 と。 で、わたしもそうだという事例開陳多数、で、その意見に賛同する方も多数。 結局のところ、これって、文章を独力で読み理解し始める時期が早かった(能力が高かった)かどうかに起因していると思います。認識能力が視覚型か聴覚型かという区分も可能かな。 鬼の首とったみたいに騒ぎ立てているのは、どちらかというと読書をあまりしない(しなかった)かその能力の発達が遅れた(遅れている)結果、耳からの情報にたよりがち(別にそれ自体が問題だというわけではないと思いますが)で薄っぺらな教養を振りかざして優位に立ちたい方面の人たちなのかな、と思います。 というわけで、私の場合はデンデンのほかにも、初老を実際に会話に出すまでずっとハツロウと読んでましたが、これにはひとこと。なんで初体験をショタイケンでなくてハツタイケンと読ませるのか、初七日はなんでハツナヌカじゃなくてショナヌカなんだとw さらには、間男をマダンと読んでました。で、マダンノシャシュを間男の社主と……^^; さすがにここまでくると落語のネタになりそうです。 追記; ちょっとつけたし。 読み方が間違っていようが、漢字を間違えていようが、じつのところそんなことはどうでもいいんです。わからなくても読み方が間違っていてもそれなりに意味がとれてさえいれば、読み進めることができるというわけです。 書くほうでは誤字脱字も同じです。正式な文書とか相手がいる手紙とかでは礼儀とかいう社会的な面で問題であることは確かですが、自分自身のメモでは問題になりません。わかればいいのですから。 そうやって、いろんな欠落はあるにしろ、そこで止まってしまったりもたもたしたりするよりは、多くの知識や情報、記録をどんどんと増やしていく人たちもいるということです。 そのような欠落や間違いはそのうち気づきます。ま、気づかないこともありますが、それで知識情報を利用するにあたって不自由することはほぼないだろうと思います。 自分の欠落や間違いに気づいたときは、あ、そうだったのか!と驚いたり面白がったりしますし、ひとがそういう欠落や間違いをしていたら、相手が同類の人間だと思ったら、決して馬鹿にすることなく私もそうだったけどという感じで話題にするのが普通ですね。 問題は、そういう欠落や間違いを自慢げに指摘してマウンティングしてくる輩です。情報や知識を吸収するより、そういうマウンティングに命をかけてる社会的人間?にとっては、相手がどういう間違いや勘違いをしているということの方が攻撃材料として重要なのだろうと思います。 追記の2 昔、娘が小さいころ、「爽」というアイスクリームを買ってきてほしくて、「あのね、ふうちゃんね、ひとひとひと、ってかいてあるアイス買ってきて欲しいの」と母親にお願いしたのを聞いて、すごく感激したのを思い出しました。それでちゃんと「爽」とわかったし^^; とにかく、なんでもいいから、情報を伝えるという機能を果たしてます。もちろん、娘を大いに褒めたのはいうまでもありません。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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