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カテゴリ:1型糖尿病・血糖値について・血糖値日記
信長は、昔の名前で「飲水病」
すなわち糖尿病に罹ってたという記録がある。 しかも、安土城に移ってからは、 糖尿病神経障害によると思われる 下肢のしびれや痛みに悩まされていたとのこと。 このためイライラが高じて、 いろんな残虐行為を繰り返したと推定される。 もし糖尿病でなければ、「本能寺の変に」につながる 光秀に対する虐めもなく、 歴史が変わったのかもかも知れない。 信長は24人兄弟の上から5番目として、 1534年(天文3年)に尾張で出生。 幼少の頃から、特異な性格形成あり。 1560年に今川義元を桶狭間の戦いで討ち取る。 1571年に比叡山延暦寺を焼き払う。 以前から手足のしびれや痛みがあったが、 43歳のとき、1576年に安土城に移ってから、 一層ひどくなった。 1579年には荒木村重一族の虐殺、 1581年には高野聖数百人を捕殺し、 留守に遊んだ次女を成敗等、残虐行為などがみられた。 1582年(天正4年)6月2日未明、光秀の軍勢におそわれ、本能寺で自殺。 本能寺の変の一因として、鬼の信長の「いじめ」に対して、 人の光秀が「切れた」ことが挙げられる。 信長は、「大魔王」として恐れられるほど、 殺戮行為を繰り返していた。 信長は「飲水病」にかかり、手足のしびれや痛みがひどかったと記録にある。 彼は田舎風の料理を好み、「美食家」ではなかったという。 糖尿病発症の原因として、 素因や戦国時代における極度な緊張感やストレスなどが推測されようか。 もし糖尿病がなければ、神経痛による「いらいら」もなく、 性格もマイルドとなり、歴史が変わっていたかもしれない。 ということです。 しかし、少なくとも1型糖尿病ではなかったのではないでしょうか? だって当時糖尿病に対する知識もそんなになかったでしょうし、 インシュリンもなかったわけですから、 1型だったら歴史が作られる前に死んでますね。
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