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カテゴリ:読書
我が国の記録に存するもののみにても、
大小一千有余の震災を数える事ができる。 そのなかでも、最も大地震と称されておるものが123回、 鎌倉時代のごときは平均5年目ごとに大震災があったのである。 覇府時代には大小36回の地震があった。 しかも我が国の発展が、いつもこれらの地震に負うところが多いのも、 不思議な現象である。 ぜんたい我が国の文化そのものは、 まったく地震から咲き出した花のようにも思われる。 天神天祖、国祖神の我が国を見捨て玉わぬかぎり、 国民の生活が固定し、腐敗堕落の極に達した度ごとに、 地震の浄化が忽焉と見舞ってきて、一切の汚穢を洗滌するのは、 神国の神国たる所以である。 古語にいう「小人をして天下を治むしれば天禄永く絶えん、 国家混乱すれば、天災地妖いたる」とあるのは、 自然と人生の一体たることを語ったものである。 人間が堕落して奢侈淫逸(しゃしいんいつ)に流れたとき、 自然なる母は、その覚醒を促すために、諸種の災害を降し玉うのであって、 しかも地震は、その極罰である。 我が国に地震が多いのも、神の寵児なるがゆえである。 自然、いな、天神地祇の恩寵をこうむることの多いだけ、 それだけにその恩寵に背いたときの懲罰は、いっそう烈しい道理である。 もし、地震が起こらなければ、人震がおこりてその憤怒を漏らすにいたる。 近くは天草四郎や由比民部之助、大塩平八郎、ないし西郷隆盛の如き、 みな、この人震に属するものである。 出口王仁三郎聖言集・・・三鏡(昭和四年五月・月鏡) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2011.08.07 14:00:58
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