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モモ7578@ Re:過去と現在の人身売買(09/01) コメントありがとうございます。
lavien10@ Re:時代がかなり移ろいても 過去の怨念はなかなか消えずして、未だに…
モモ7578@ Re[1]:落雷ありましたか(07/20) lavien10さんへ コメントありがとうござい…
lavien10@ Re:落雷ありましたか 凄かったでから、今やそんな事故も無くな…

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2011.08.16
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カテゴリ:読書
出口王仁三郎聖言集・・・三鏡より

千の利休という人は、明智光秀の成れの果てである。
明智光秀は山崎の一戦にもろくも敗れて、
ついに名もなき一兵士のために竹槍にて突き殺されたと
歴史に伝えられてあるが、あれは嘘である。

天王山の一戦で勝敗の決することは初めからよく承知しておったが、
光秀は将士のたびたびの迎えをうけながら、わざとグズグズしていて、
ついに勝を秀吉に譲ったのである。

じつは、とくに光秀と秀吉とのあいだには
妥協が成立していたのである。

聡明なる光秀は、たとえいかなる事情があったにせよ、
いったん主殺しの汚名を着たものが天下の将軍となっても永続きせぬ、
ということをよく承知していて、秀吉に勝を譲ったのである。

そして彼は頭を丸めてお茶坊主となり、萩の枝折戸四畳半のなかにあって
天下の大事を論じ、謀(はかりごと)をめぐらして、
秀吉を太閤の地位まで押しのぼしてしまったのである。

かれはじつに秀吉の好参謀であったのである。
朝鮮征伐なども、かれの献策に出たものである。

茶室に這入るには丸腰となってにじり口より入らねばならぬ。
元亀天正時代、荒武者を制御操縦するにもってこいの場所方法であった。
第一、秘密を保つに絶好であった。

のちかれは娘の美貌が禍の因をなして自殺を余儀なくせしめられたと
世に伝えられているが、まったく跡形もないことである。

英雄、英雄を知る、諸般機微の消息は俗人にはわからぬ。


このことを聞いた家元(当時第13代円能斎氏)は
“そのことこそ、千家に伝わる、一子相伝の大秘密であって、
跡を継ぐ長男のみが知って、次からつぎへと言いつたえ語りつぎて
世に知るものが絶えてないはずです。
どうしてそれが分かったのでしょう”
と顔色がサッと変わったそうです。





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Last updated  2011.08.16 19:03:09
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