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カテゴリ:愛
エリック・クラプトンの“レイラ”が流れてくると、
なんとも言えない不愉快さがわいてくる。 曲そのものは良いよ、情熱的で。 しかし、だいぶ前に、この曲に関するエピソードを知ってから 素直に聴けない自分がいる。 そのエピソードと言うのは、クラプトンの妻は ジョージ・ハリスンの元妻で、その彼女に熱をあげて作られた曲、 と言う事だけど、だからって私が不愉快になることはないんだけど。 細かい事情は知らないのに、なんかそこに不潔感を感じる自分・・・ 昔、その妻のエロい写真を見たことあるからね。 それからジョニー・ディップが好き、と言う女性が多いけど、 私も最初は好きだった。 しかし、ある雑誌で、 “僕はスーパーモデルのおかかえコック・・”だったか、運転手、だったか忘れたけど、 いわゆる彼女のことをそんなようなニュアンスで書かれてるのを見て、ゾッとした。 それから嫌いになった。 演技までわざとらしく感じてきた。 ゴシップと言うのはこれほどまでに影響するよね。 それから似たような意味か、関係ないかわからないけど、 自分の妻を他人に話す時に“奥さん”と言う男にもゾッとする。 “愚妻”とか(古い・・)“家内”、せめて“妻”とでも行ってくれれば良いものを・・・ この不愉快さの根本はなんだろう。 阿る(おもねる)男はバカに見える、ということか・・・ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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