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カテゴリ:読書
出口王仁三郎・・・・玉鏡より
子弟の教育は義務教育を終へたら沢山だ、 それで立派に一人前の人となれる。 其の後はそれぞれ専門の教育を施したらよい。 専門教育も学校などに入るより、寧ろ実地経験をつませたがよい。 今の中等教育などは、あれもこれもと余り沢山な課目を課し過ぎて、 どれも中途半端で物の役に立たぬ。 それに生齧りながら、いろんな事を知つて居るので却つて悪く、 目的を定めても、うまく行かぬとすぐかへて仕舞ふ。 商売をやつて居ても旨く行かぬと、私は中学校時代英語が上手であつたから、 一つ通訳になつて見ようと職業替をし、 又其通訳がうまく行かぬと、寧ろ画家になつて見ようかと、 つつきかじりの癖はどこ迄も禍ひして、遂に何物をも掴み得ずして、 いつしか劣敗者の群に取り残されて仕舞ふのである。 点滴石を穿つの譬で、能力の劣つたものでも専門的に長くやつてをれば、 年月を重ぬるに随つて熟練の効は顕はれて、 天晴の腕前になるものである。 滅多に生活に困るやうな事はない。 なまじひ種々の事を知つて居るのは害多くして効が少ない。 社会がこんなに生活難に苦しむやうになるのは、 教育制度の罪が与つて其大半の責を負ふべきである。 学校にしてからが、田舎の町村に不似合な広大なる校舎を建築して居るが、 教育費ばかりが徒らに嵩んで負担に苦しんで居る町村が多い。 些し考へたらよからう。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2011.11.10 21:25:21
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