|
カテゴリ:人生
私が20才くらいのときにわかったこと・・・
誰でも考える事はできる、でも誰でも感じる事ができるわけじゃない・・・ 感じる、直感、これはだれしもが得られることじゃない、 持って生まれたものに経験が加わり、さらにもっと奥深い真実を得たい、という 絶える事のない日々自分を浄化したいという態度から来るものじゃないだろうか。 自分がその両親を選んで生まれて来る、とは霊的な話しではよく聞くことだ。 そんな両親の間に生まれたのは自分を更生させるため・・・ 詳しい事はここでは止めときましょう。 こんな両親の元に生まれたくなかった・・・私は母に言った事があります。 母は、悪かったねえ、すまなかったねえ・・・ 私は母にそんなことを言った事を後悔した。 それでなくても母は受けなくてもいい侮辱を目一杯受けてきた。 私はそんな母の受ける侮辱を自分のことのように感じて相手を憎んだ、呪った。 私が死んでほしいと呪った、母を侮辱した人間の数、どれほどだったろう。 私が特別母を愛してたか、と言うとむしろ嫌いな方だったかもしれない。 しかし、母の踏まれても踏まれても負けない、後で、ああ、本当はそうだったのか、とわかる母がしてきた、自分を前面に出さない善行、素直さを無くさない心が気高かった。 母のいやなところよりも、その奥の心がいたましく尊く伝わった。 “誰かが見てる、何か大きなものが自分を見てるから悪い事はできない・・・” 母はそう言ってた。 これが信仰というものではないだろうか。 母はまだ生きてますよ、ケアハウスでヘルパーさんたちに愛されてます。 ちょっとボケちゃったけど執着のない、幸せかも知れないボケ方です。 ヘルパーさんへの思いやりの心、言葉は一段と力をまして。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2012.12.07 09:55:26
コメント(0) | コメントを書く
[人生] カテゴリの最新記事
|