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カテゴリ:生活
ほぼ1ヶ月の放置…(汗)。
今月はただでさえ日数少ないのに、業務で7日間研修に出ねばならず、仕事がてんやわんや。 何とか山は越えた感じですが、明日から3日間連続でその研修です。 子供たちが体調崩したらどうしよう…と心配しているのですが、今のところ無事です。 周辺の小中学校では結構学級閉鎖も出てるけど、えみたんの通う学校は今のとこ平穏に過ぎてます。 外から帰ったら『手洗い、うがい、しっかり換気!』が合言葉の子供達。 案外こういう基本的な事が大事なのかもしれませんね。 ---------------------- 今参加している研修の中で、ターミナルケアを学ぶ機会があり、訪問看護師さんの話を聞きました。 『ターミナル期の理解は、まず援助者である自分自身が死生観を持つことが必要である。』 確かにその通りだと思います。 しかし現実には、自分はどのように生きたいか?と考えたことはあっても、自分はどのように死にたいかと?考えたことはないですわ、正直。 生きているのが当たり前、と無意識に思っているけど、無事に毎日を生きていることがある意味奇跡なんですよね。今日明日に病でなくても、不慮の事故で命を落とすこともある。 そう考えると、毎日を大事に過ごさないといけないな、とか思ってしまうわけです。 で、どのように死にたいか、という話に戻りますが、普段意識していないと『どういうふうに死にたいですか?』と突然訊かれると『苦しまずにぽっくり逝きたいです。』と安易に答えてしまいがち。 果たしてそうでしょうか? 今心筋梗塞とかでぽっくり逝ったら私は幸せ? いやいや、思い残したことが沢山ありすぎて成仏できませんよ。 講師の先生が言われるのには『私は癌で逝きたいと思います。癌なんて痛くて苦しそう、と思われがちですが、余命宣告されてから残された時間の中で思い残すことなく生きたいから。』と。なるほど。考え方次第ですね。 あらかじめそういう死生観を持っているのといないのとでは、実際にそういう立場になった時に精神的に苦しむ度合いが違うと思います。 40代に突入し、ぼちぼちそういう事も考えないといけないな~と思ってしまいます。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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