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カテゴリ:お散歩・お出かけ
前回菜の花台に行ったあと、近くにある
源実朝公御首塚 (みなもとのさねともこうみしるしづか) へ行ってみました。 鎌倉幕府第3代征夷大将軍の首塚である。 通りから狭い道を入ると、一帯はのどかな風景。 近くの農家さんでは焚火をしています。 隣の公園の駐車場に車をとめられました。 公園のトイレの前を通って・・・ 三代将軍様のお墓の横がトイレというのも悲しいな。 この塚の説明と歌碑に掘られた歌について書いてあります。 これか。 「ものいはぬ 四方のけだもの すらだにも あはれなるかな 親の子をおもふ」 甥の公曉に討たれるとは皮肉なものだ。 実朝さんは、うわさに聞く京の風流に憧れる ろまんちすと だったのかねぇ。 風流に憧れ咎を許すというエピソードに対し、京の都とて実際にはそんな事は無い。 そんなことしてみたかっただけなのですよ・・・ 昔「永井路子」の小説で、そんなことが書いてあったのを思い出した。 三十数年前のことで、よく覚えていないけどw こちらかな・・・ 全景 実朝公が暗殺(暗殺と言っていいのか)されて700年ほど、近年(お前の近年は何年前だw)になるまで、ここは草木に覆われていたそうだ。 右大臣に就任し、その祝いで翌年鶴岡八幡宮に拝賀、暗殺されたわけだが、 どういうわけだか、太刀持ちをしていた北条義時は途中で「ぽんぽんいたいのぉ~」と(言ったかどうかはしらんが)バックレます。 おそらく、クーデター計画に気づいていたというのが通説ですね。 裏で糸を引いていた三浦氏とすれば、実朝と義時、セットでヤッてくれないと計画はとん挫するわけで、全てを消し去るために公曉を討ちにいったのでは、といわれています。 実朝公の首は行方不明とされています(愚管抄だと岡山の雪の中から発見、鶴岡山の事?) この地が実朝公の本物の首塚で、 三浦義村の家臣である武常晴が、三浦氏と懇意であった波多野氏の領地に埋葬したという記録が正しければ、 黒幕はやはり三浦義村? まあ、頼朝が駆け出しでやらかした時に保護した三浦氏や古参の武闘派、脳筋の和田氏からすれば、頼朝の死後、嫁の一族がデカい顔するのも気に入らんかっただろうな。 (政治的には北条氏は必要だったのかもしれんが) 今だと、小さなベンチャーから世界的企業に上り詰めたCEOが死んだあと、古参の仲間を排して嫁の一族が会社を乗っ取って好きにする、みたいな・・・ 若い時は相手の家族などは関係ないと思いがちだが、歳をとると相手の一族がどういったモノどもなのか意外に大事だな、なんて感じたりもする。 相手自身の本性もソコに隠れていたりするしw 向かいには古墳跡とその横に蕎麦屋さんがある。 さて、帰りますか・・・ 北条政子 (文春文庫) 新装版 炎環 (文春文庫) twitter
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