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カテゴリ:history
永禄 4年(1561年)・・・。
上杉軍・武田軍が対峙した、信州は川中島。 4回目の激戦を、特に「八幡原の戦い」と呼ぶ。 妻女山に布陣し、動く気配の無い上杉軍に対して、 兵を二手に分けて別働隊の奇襲により、予定戦場である川中島八幡原に 上杉軍を追い落とし、あらかじめ配しておいた主力軍により、 迎撃殲滅する「啄木鳥(きつつき)の戦法」を採用した武田信玄だったが、 その策は上杉謙信に見破られており、裏をかかれた武田軍は上杉軍の猛攻に苦戦する。 その最中・・・。 月毛色の馬に跨り、白布で面を包んだ武者がただ一騎、 武田信玄のいる本陣に突入する・・・。 萌黄(もえぎ)の胴肩衣(どうかたぎぬ)をつけ、頭を白布で包んだ武者は 月毛の馬の馬上から、三尺ほどの太刀をふるい、 床几(しょうぎ)にかけている信玄めがけて、三太刀斬りつけた。 信玄は軍配団扇で受け止めたが腕に二箇所の傷をおった。 駆けつけた信玄の旗本が槍で馬上の武者を突いたがはずれ、鎧の肩にささった。 これを叩き落とそうとして馬の尻を叩いてしまったので、 馬が立ち上がり、一目散に走り去った。 この白頭巾の武者こそが、上杉謙信であったという。 後で信玄の団扇を調べてみると、刀の傷が七つもあった・・・。 「三太刀七太刀之跡」 武田信玄と上杉謙信の一騎討ち・・・。 大河ドラマや歴史書でもよく現れるワンシーンですね。 「風林火山」(You Tube 08:42sec) 「歴史探訪の会」会員・・・一人で奮闘中です お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2008.03.26 22:00:33
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